未来ユメ日記 by GG

夢、ゆめ、ユメ。未来に向けてユメを語ろう。教育・テクノロジー・地球の未来・歴史・ドラゴンズ・・定年退職を迎えた2012・4・1から、未来に向けてユメを紡ぐ

カテゴリ: 日記

 娘の嫁ぎ先がワタナベなので、全文引用させて頂きました。

節分 2012年02月03日12時07分

提供:みちくさ学会
http://news.livedoor.com/topics/detail/6247694/


 みなさんこんにちは。本日は節分ですね。同僚から「ワタナベ」姓の人は豆まきをしなくても良いらしい、と聞いたので調べてみると、どうやら地域によっては本当にそういう伝承があるらしいですね。

 何故に「ワタナベ」かといえば、はるか昔、源頼光の家来をしていた武将「渡辺綱」が、京都一条戻り橋上で鬼退治を行ったため、以後、鬼は「ワタナベ」を避けるようになったから、という話。全国のワタナベさんが羨ましいですね。ガスタンク講師渡邊さんのご家庭ではどうだったんでしょうか。(このときの刀「髭切(鬼切)」は北野天満宮にあるそうです。)

 さて、これをみちくさ学会的に強引につなげると、慶応大学三田キャンパス脇にある「綱坂」、あの名前の由来はこの渡辺綱がこのあたりで生まれたからと言われていて、それゆえ「渡辺坂」とも呼ばれています。坂に立っている柱には、ちゃんとこのあたりの話も書いてあります。(節分の話は書いてありませんけど)。この近辺には「綱の手引坂」なんてのもあります。鬼はこの坂を避けて通るんですかね?

 それから鬼で思い出したのは、池袋からほど近いところにある古刹、「鬼子母神」(都電荒川線の駅名では「きしぼじん」ですが、ただしくは「きしもじん」」。PCではそんな文字は出力できないのですが、寺域にある石碑などを見ていただくと、ことごとく「鬼」の上部「´」が取れていますね。
 伝説では、鬼子母神は最終的には「鬼」では無くなったので、それをお祀りするお寺の方でも、"ツノを取って"こういう字にしたということです。本能寺の「能」の字も、現地の石碑などを見るとわかるのですが、旁の部分に「ヒ」が重なるのは信長さんのこともあるし、「火」に通じて縁起が悪いね、ということで火除けの意味も込めて「ヒ」の下に「去」と表記しています。なるほどこういうことは地図で見てもわかりません。

 みなさんも、是非、外出中に石碑などを見かけたときは、ぜひ足を止めて見てみてください。先入観を打ち破る、意外な発見がありますよ!
 というわけで、節分から始まるちょっとしたお話でした。(事務局員大谷)

 「学校おやぢつぶYaki」がついに10万ビューを達成しました。
 皆さんのご愛読に感謝しております。

 創立は2004年8月9日でした。

 これからもよろしくお願いします。 

原子力教育事業、6割以上無競争で落札  2011年10月2日 11時43分

 小中学校や高校での原子力教育を支援するため、文部科学省と経済産業省資源エネルギー庁が2009〜10年度に一般競争入札で教材作成などを委託した17事業のうち、6割以上が1団体しか入札に参加しない「一者応札」で、落札したのはすべて官僚OBか電力会社の現・元役員が理事などを務める公益法人だったことが分かった。原発の安全性を紹介する教材など、推進色の強い事業が「原発ムラ」の中で独占されていた。
 本紙が情報公開請求で入手した入札資料によると、17事業は入札価格と技術点で落札者を決める総合評価落札方式を採用。2年間で文科省は13事業、エネ庁は4事業を計約10億円で委託した。
 このうち11事業の応札は一者だけで、事実上の無競争だった。委託先の公益法人は計7団体。原子力ポスターコンクールや原子力教育を支援するホームページの作成など、最多の7事業を日本原子力文化振興財団(東京)が受注した。
 振興財団の役員名簿には、東京電力の清水正孝前社長や、関西電力の八木誠社長ら電力会社役員が非常勤理事に名を連ねている。
 放射線測定器を学校に貸し出す事業は両年度とも日本科学技術振興財団(同)が落札。ここには文科省などの官僚OB3人が天下っている。小中学校向けの副読本の作成は、旧通産省(現経産省)事務次官が理事に天下る日本生産性本部(東京)が09年度に受託。原発は「大きな地震や津波にも耐えられる」と記載しており、福島第1原発事故後の今年4月、当時の高木義明文科相が「事実と反した表現は見直す」と修正を表明した。
 他の6事業は競争入札が行われたが、こちらも原発推進に深く関わってきた公益法人が落札した。委託事業の原資は、電力会社の販売電力に応じて課税される電源開発促進税。電気料金に上乗せされている。
 文科省原子力課の担当者は「一般論として、どのような価格で入札するかなどは企業力の問題。民間か公益法人か(官僚)OBがいるかいないかとは無関係では」と説明。「競争原理は働いている。入札説明書などの説明は丁寧に行っている」と話している。
(中日新聞)

 明日から最後のキャンプ活動に同行します。
 最後というのは私の教員生活の最後という意味です。

 私事はどうでも良いのですが、通知表関連記事と感染関連記事はお休みです。

 なお「通知表なう」は、予約記入しましたので、定期的に投稿されますのでご愛読ください。

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 はい今日は、21日から23日にかけての九州の旅の報告です。かつて大変お世話になりながら、長らく年賀状でしかご挨拶できなかった先輩に一目会ってお礼を申し上げたいと、それが目的の旅でした。

 楽ななものです飛行機は。初日の21日にはセントレア発1100ノ飛行機で1230頃福岡空港着(機内でのおにぎりが昼食)、山笠で有名な櫛田神社、長浜ラーメン、大濠公園、福岡城址、国体道路、西公園、福岡ドーム周辺、先輩宅(けいこさん、ありがとうございました)、魚市場近くの回転寿司、ホテル。この日は先輩のご次男の奥様(あっちゃんの奥様ですがお名前を失念)の運転。ドライバーが「博多の人」ですね。

 宅の家内がかつて修学旅行に来たということで、22日は彼女の思い出の地長崎まで足を伸ばして、平和公園、浦上天主堂、長崎原発爆心地、眼鏡橋、長崎中華街(昼食:蘇州林)、グラバー邸、大浦教会、大浦天主堂、長崎県美術館、出島と福岡から日帰りで行ってきました。雨は降らなかったかな。夕食は福岡駅で博多黒豚カツ定食、ゴマサバ定食。

 帰る日には、これまでは疲労困憊でなんとなくゆったり過ごすのが僕達の習性でしたが、先輩とご子息のおかげで大変有意義な一日になりました。最終日の23日は香椎宮、志賀の島、金印公園、筥崎宮、太宰府天満宮、昼食(ざるそばと梅ヶ枝餅)、太宰府駅、観音寺、旧道を通って・・・大宰府政庁あと、水城跡、福岡市内(辛子明太を買ってもらいました)、福岡空港(かなちゃんと双子のお嬢さんが空港まで来てくださいました)(夕食:カレーライス)、1930福岡発の飛行機で帰着。

 しまったなあと思うのは、お礼どころか「福岡ではお客に財布を開けさせられん」てなばかりに、一家をあげての下にも置かない歓待を受けたことです。ありがたさに恐縮の極み。それにしても大陸と大陸的なおおらかさと、山笠(下に車はない、担ぐばかりの1500人からの軍団・・・)の情の深さと強さを実感した旅でした。

 あっちゃんがご覧になれば、段落の頭の文字が拾っていただけるでしょう。

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