未来ユメ日記 by GG

夢、ゆめ、ユメ。未来に向けてユメを語ろう。教育・テクノロジー・地球の未来・歴史・ドラゴンズ・・定年退職を迎えた2012・4・1から、未来に向けてユメを紡ぐ

カテゴリ: 通知表なう!

 29日にキャンプから帰着して、そのまま大規模改造の打ち合わせに入りました。

 「通知表なう」はいよいよ終章を迎えます。

 最後までお読み頂きましてありがとうございました。

 ところで次はなににしましょうかね?

 校務支援ソフトなう、かな?

 ともあれ、右のカテゴリーの「学校の先生」をクリックすると、始めから読むことができます。
 それとも「通知表なう」という新カテゴリーでまとめましょうか?

通知表のPC化は、思わぬ効果をもたらした。一覧表提出日が数日後ろにずらされることになったのである。「転記」と「点検修正」の日数が不要になったので、終業式から逆算して日程が圧縮されるのは当然だ。

そしてそれは「実質指導日数」が延びることにつながったのだ。ここが重要なのだ。お分かりかな? これが実は学校にとっては、画期的なことであった。

教師は成績を集計するとあとは通知表作成に力をいれるため、指導への力が抜けることがある。実質の夏休み入だな。それが数日遅くなったのだ。「それではいけない、成績集計後の授業は二学期に反映する」というのが建前だが「暑い中で一息つけばあとは夏休み」と思うのが人情というモノ。

通知表PC化により一覧表提出日を例えば数日、具体的には5日下げたとしよう。3学期制では一年に15日、6年で90日が「実質指導日数」として復活する。90日は6時間授業として540時間。計算すれば半年が有効になる。

土曜日が休みになったことを嘆く人が多いが、年間35週間(学校は35週間が単位)に4時間なら120時間。小学校並みの3時間なら105時間が指導時間だった。通知表をPC化したことにより実に5年間以上の時間数が生き返ったのだ。

しかしだ。通知表PC化にも思わぬ落とし穴があった。押印だ。子どもは有効な時間数が増える。担任は作業時間が節約され誤字脱字のプライドも傷つかない。印刷費は節約できるし、データの蓄積もできる。しかし良いことづくめではなかったのだ。

担任にとっても教務主任にとっても、点検は時間くうだけでなく、気分的にもいやなものだった。誤字脱字、文章表現の見落としの点検は保護者や児童の手前、必ずしなくてはならないが、教師として間違いがあるということ自体が自分にとっても点検者にとってもショックである。

閑話休題、若い頃校長にからかわれた。「羊は耳が出ていて足が四本。お前の羊は耳がないのか二足歩行か?」。謎掛けのようだが、僕は「達」という字のつくりの羊の横線を二本しか引かない癖があったのだ。

ところが教務主任と教頭が羊の一画を見落とした。誤字を書いた自分だけではなく、それを見落とした二人も校長のからかいの的となった。と思い出しながら「あれは新任の年ではなかった」ことに気がついた。僕は数年にわたって二足歩行の羊を書き続けていたのだった。

さて山ちゃんは、例の手書派女性に「誤字でごちゃごちゃ言われないし、パソコンで打ってしまえば手で書かなくて良いのだ」と話したしたようだ。彼女は、幾分かでも楽になれば良いという人なので、迷うことなく飛びついてきた。

朝の打ち合わせで「通知表作成についての説明が、きちんとなされていないことは問題である」と発言した。しかし「校長が強く望むならPC化しても良い」と言った。校長は「無理に勧める気はないが、先生の決断には経緯を表する」と答えた。プライドの高い人たちは、なにかと手続きがお好きなようである。

こうして通知表のPC化は全員が取り組むことになった。研究期間をおくこともなく研修を組むこともなく、あっけないほど簡単に実現してしまったのである。ある意味で山ちゃんがいろいろと言ってくれたことが効果的だったのかも知れない。

見た目には手描きからプリントアウトに変わっただけだ。それにより、誤字脱字がなくなったとか、辞書と首っ引きで点検しなくても良くなったという効果があった。しかしそれ以上に意外な効果があったのだ。印刷費の節約か? それもある。しかしそんなことだけではない。

教務主任はクラスごとのファイル作り続いて、「記入の要領」と「一覧表打ち出しサンプル」を作って、学期末の作業に入る前に説明して回った。すでに多くの教師がエクセルで下書きをしていたので、「ああ、このファイルに入れればいいんだね」といった程度の説明で十分だった。

いよいよ学期末である。教師たちは成績を集計し、所見を考えながら自分のクラスのファイルに成績を記入し始めた。ちなみに通知表には、評価と評定と所見、それから出欠などの記録が記入される。観点ごとの成績が評価であり、それを集計して教科ごとにくくったものが評定である。

山ちゃんは「校長さん、PC化でもいいし、手書きでも良いと言ったよね」と言いながら打ち出した一覧表を提出してきた。彼も教務主任作成のファイルに記入していたのだ。そこから彼は「手書き」にしていくつもりだった。それが許されるのかどうか確認したかった。

校長は「手書きでもいいよ、約束だから」と言いながら彼のクラスの「紙の一覧表」を受け取った。そして自分のパソコンから「通知表フォルダー」を開き、彼のクラスのファイルを開くと「お約束のボタンを押した」のだった。すると・・・

校長は裏切らない。手書きでも良いといった以上は手書きで結構だと思っている。時代の常識から考えて、プリントアウトされたものが奇異な感じを与えるとは思わないし、保護者に大きな反発があろうとも思っていない。ま、数件の異論は出るかも知らないがとは思っていたが。

「もちろん約束だから手書きでもいいよ」。そう言いながら、ファイルに設けられた「お約束のボタン」を押した。校長は内心「枚数は3枚くらいにしておこうか」と考えていた。

校長はそう見えたが、本当に妥協したのだろうか?実はいつかは全員がPC化するという確信があったのではないか。その手応えは「一覧表のPC化」をほとんどの教師が歓迎したことによる。いや、“いつか”どころかすぐにでも完全実施できると踏んでいたかもしれない。

それはある確信があったからだ。その確信とは「PCを良く考えて活用すれば、教師の雑務を減らすことができる」というものである。費用対効果をコストパフォーマンスという。教育の、まずは機械的な事務部分でのコストパフォーマンスをPCが減らしうる。

しかしそれには、教務主任の努力が必要だった。彼はサーバーに「通知表>>○年○組」というフォルダーを作り、二つのファイルを用意しておいた。いやファイルは一つだったかもしれない。

とにかく共有サーバーの「○年○組フォルダー」には、一覧表ファイルの他に印刷用のファイルあるいは印刷用の仕組みが用意されていたのだ。彼は元ファイルのコピーを24ほど作った。それはそれで眠くなるような作業だっただろう。

しかし彼の努力は「何百回も辞書をひく」という作業をなくすことによって報われる。文字の点画のありようについてはPCの、詳細はわからないが魔法のような仕組みが確保してくれる。文の構成だってPCがチェックしてくれる。

↑このページのトップヘ