未来ユメ日記 by GG

夢、ゆめ、ユメ。未来に向けてユメを語ろう。教育・テクノロジー・地球の未来・歴史・ドラゴンズ・・定年退職を迎えた2012・4・1から、未来に向けてユメを紡ぐ

カテゴリ : 通知表なう!

 履歴書一つをみても以上のように前時代的のままだ。これが変わったらどれだけの紙が節約できるだろう。取り扱いの手間暇と、収納スペースの節約にもなる。学校や教育委員会にある恐ろしいほどのファイルはこうした無駄の集積であり、業務の大半も文書の制作と分類と収納に費やされている。

※ ツイッターで通知表の物語を書き始めたが、140文字の制限はなかなかにつらいものがある。
  やはり少しでも長い文はブログの方が書きやすい。

  おやじも退職して立場が変わったこともあり、この際「学校おやぢ」を卒業することを思いついた。
  今夜からは、未来ユメ日記という表題で、またまた好き勝手なことを書き綴っていきたい。

  フェイスブックで「いいね」を下さったたくさんの人には申し訳ないけれど、ブログから表題だけは飛んでいく仕組みになっているので、今後ともぜひお読みいただきたい。

 生涯で数回しか転勤しない人にとってはたいしたことには感じられないかもしれない。しかしマクロでみるとたいへんなことになる。県内で三千人が移動して一時間を履歴書書きに費やせば三千労働時間、一人が8時間250日働いても二千労働時間にしかならないことを考えればよい。

 手で書くことだけではない。間違いがないか照合する手間がかかる。年度が替わるたびに複本を本人に届けて記入回収する。それをファイルするとか収納するとかなどなど、相当の手間と時間とスペースがかけられる。想像しただけでも気の遠くなるようなコストをかけているのだ。

 A先生の場合、定年に近い年なので当然履歴書に書く事項が多い。一枚目の表に氏名や住所免許状などの基本的なことを書いて、裏には学歴を書く。そこからが履歴事項だ。これまで勤めてきた学校、昇給、給与に関わる役職など30年以上の経歴を書いていくと裏表で6面以上になる。

 B先生は子どもが3人いて、そのたびに産休や育児休業をとっている。それをいちいち書かなくてはならない。「女性のナントカカントカに関する法第何条と第何条により・・・」という決まり文句を書き込むのだ。これが長い。まるで嫌がらせのように長い文を子ども三人分について書き写す。

 C先生の場合は悲劇だ。彼女は子育てのために退職し、その後子どもが成長したので講師生活を送っている。講師には期間の短いものや長いものがあるので、いろいろな講師になったりやめたりするたびに記入事項が増えていく。また彼女の履歴書は採用のたびにコピーされ、保存されている。

 「学校教育の充実のために教員を増やせ」という主張があるけれど、この財政難のおり、しかも教育には無関心というか教師任せのこの国で、まさか増やされるとは誰も思いはしていないだろう。人々は無理と知りつつ言うべきことを言っただけなのだ。

 教育の充実のためには教師の数を増やさなくてはならない。それが無理なら教師の仕事から無駄を省く。そうすれば実質的な人員増となる。では、はたしてどれくらい無駄があるのか、あるいは無駄を省くような何か良い方法があるのか。ITの進化がそのカギを握っている。

 「教育にIT」というと、すぐに「指導を機械にやらせるのか?非人間的になる!」という声が聞こえてくるが、それはあまりにも学校という仕事を知らないというものだ。学校には指導・教育以外の業務がたくさん転がっている。教師はその職務の何割かを教育以外に喰われている。

 無駄の例えの第一が履歴書である。それは現代でも手書きだ。手書きは「温かくて心がこもっている」という人もいるが、他に心を込めるべきところはいくらでもあろう。転勤した時の最初の仕事が履歴書書き。原本を持ち歩き、転勤のたびにその学校用の履歴書を最初から手で書く。

 履歴書は原本が一つと複本が3つ必要だ。県教委用、市町村の教育委員会用、学校用である。原本と県、市町村は必要事項を書き足していく。学校用は転勤の際においてくる。だから新しい学校に赴任するとその学校用を新調するというわけだ。だから、最初の仕事が履歴を手で書くということになる

通知表PC化の落とし穴は、校長の押印をセット出来なかったことだった。担任にとっては楽になった麺があるが、校長にとってはこれまでどおり一枚一枚手で押印しなくてはならない。ある退職校長は「通知表と聞くたびに右手の人差指の付け根がうずく」と語っている。

一方、あの時PC化に強く反対した山ちゃんは、勤務年限が来て転勤する際に転勤先の学校の条件として「出来たら、通知表のPC化された学校にしてもらえませんか」と希望してきた。

念のために言っておこう。他府県、他地域、他校はイザ知らず、ここの校長に限っては教師を飛ばすということはしたことがない。山ちゃんの場合も在任10年にもなっていたため、異動せざるを得なかったのである。だから校長に反対したから転勤させたというわけでは決して無い。

なお彼の転勤先は通知表PC化していなかった。だから彼の気に入る学校はなかった。そこで校長は転勤先の校長に「山ちゃんは通知表PC化の指導者になれる」と紹介し、その学校でもPC化が始まった。こうして結果的に山ちゃんの望むような状況となった。

例の手書派女性教師は、表面的な言葉とは裏腹に、信念で「手書き」を主張していたわけではない。ただ「楽な方」を選んだだけのことだった。こうした人が納得出来るようにすることは難しい。

しかしある意味で彼女以上に楽を追求し手抜きの極意を極めていかないと本当のPC化にはつながらない。楽かどうか言い換えれば無駄が省かれるかどうか、彼女のような敏感な嗅覚は得難い道しるべになりうる。ただし、本来的な業務まで軽視されないようには注意しなくてはならないが。

さてPC化は実現された。実現した途端に「プレビューが見たい」「フォントを選びたい」「個々の児童の成績履歴を参考にしたい」「出欠を自動的に記入したい」などなど、要望がいっぱい出てきた。なるほどどれをとっても納得できる要望である。これらを実現していくためには優れた「校務支援ソフト」の出現を待たなくてはならない。

落とし穴を語る前に、PC化の影響を見てみよう。児童は特に何の反応も示さなかった。ほんの一部の子が「カッコいいじゃん」と言ったとか言わないとか。彼らにとっては良い成績と良い所見があれば終業式の一日が乗りきれるわけであって、通知表の形式などどうでもよいのだろう

保護者はといえば、これもほとんど無反応であった。保護者からの積極的な反応はなく、もちろん抗議や苦情もなかった。恐る恐る「PC化しましたがどう思われますか?」と聞くと「あれ前からじゃなかったですか」とか「やっと学校も世間並みですね」と言われる始末だった。

しかし保護者の反応については十分な洞察力が必要だ。必ずしも正直な感想が語られるわけではないからだ。保護者間で学校への反発が充満しているとしてもそれが学校に伝わってくるとは限らない。

それにしても保護者の期待応えるためには通知表を手で欠く状態に後戻りさせるのではなく、より充実した個別指導を行い、それを家庭連絡や所見の充実に反映させることが重要なのである。

教育委員会は、建前としては校長の選択に干渉しないし、通知表は校長を指導するべき事柄でもない。むしろPC導入に多額の予算をつぎ込んできただけに「具体的な使用例」として議会質問への回答の一つの材料を得た気持ちだったのではないか。

事実、通知表を印刷するための「印刷製本費」のかなりの部分が不要となった。それにしても年間のIT予算に比べるとほんの1%ほどでしかなかったが、成果はないよりもある方がよい。「全校へのパソコンやLANの配備によりこれまでの予算を節約することができた」と数字抜きで語れば良いのだから。

他校の校長は、賢明な人は自校の職員に「様子を見よう」と答えていた。そうでない人は「手書きのぬくもり」とか「本来、心を込めて手で書いて渡すべき」といった紋切り型の拒否回答をしていたようだ。賢明でない校長は自分の言葉に囚われて、PC化にも踏み切れず右往左往している。

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