未来ユメ日記 by GG

夢、ゆめ、ユメ。未来に向けてユメを語ろう。教育・テクノロジー・地球の未来・歴史・ドラゴンズ・・定年退職を迎えた2012・4・1から、未来に向けてユメを紡ぐ

カテゴリ: 電子教科書

 学校の賞味期限が切れたということや、先生様から教員へと教師の地位が転落してきたということを書いてきましたが、実はそんな歴史を語ることが目的ではないのです。
 目的はずばり「教育をどうするのか」、言い換えれば次の世代の子どもたちをどうやって育てていけばいいのかを考えたいのです。

 ここで二つのキーワードを押さえておきましょう。その一つが「電子教科書」です。電子教科書については田原総一郎氏の著書で「国を滅ぼす」とまで酷評されたことで世間にその存在が広がりました。ちなみに氏は今では、DITT(デジタル教科書教材協議会)のアドバイザーかなにかに就いておられます。
 韓国始めいくつかの国でかなり手広く採用され始めた電子教科書には、はたして国を滅ぼすような魔力があるのでしょうか? それほど大きな力を持つものなのでしょうか? 国を滅ぼすような教科書がなぜ導入されつつあるのでしょうか?
 これからも「国を滅ぼす」とか「教育的ではない」といった反対論が多く出されてくることと思います。それが本当なら、この国の教育はどのようにしていけばよいのでしょうか? 

 もう一つのキーワードが「学校教育」です。学校教育は教育の中の一つの考え方にすぎません。例えば幼児教育、生涯教育、社内教育など、教育にもいろいろな場面があるものです。
 ところが「教育が悪い」とか「教育が問題だ」というと、まず思い浮かぶのが学校なのではないでしょうか?そして教壇に立つ先生や黒板、チョーク、給食、校舎など、いろいろなことが目に浮かびます。これを検討の対象としなくては「これからの教育を考える」ことにはならないのです。ましてや特定の学校や特定の先生を思い浮かべて批判しても教育の改革や発展にはつながりません。システムの全体が問題なのです。

 そこが開拓地だったということで学校が文化センターであったわけではないでしょう。
 ある人はこんな表現をしています。「茶碗がひっくり返ったのだ」と。

 以前の学校はお茶碗を伏せた時のてっぺんにあった。日本全国津々浦々のそこここに伏せられた茶碗が並んでいて、一つ一つの茶碗の上に小中学校があった。そんなてっぺんをつないでいたのが先生だった。ところが時代が進んでくると、学校の周りが高くなってきた。例えば保護者の学歴が高くなって、大学出の人がごろごろといるようになった。テレビなどのマスコミの普及により情報がストレートに伝わるようになったし、難しいことでもテレビが解説してくれる。電話のない家はなくなったし、オルガンやピアノも買えるようになり、学校のピアノも珍しくない。
 こうして気が付いたら、いつのまにか茶碗がひっくり返っていて、学校は茶碗の底にうずくまるような感じになってしまった。
 昔は学校を見上げていたものだが、いつのまにか見下げる存在になってしまったと言ったら言い過ぎかな。だから先生も・・・

 いやはや手厳しいものですね。学校の背が伸びるよりも、周囲の地盤がせりあがりが大きかったので、丘の上にあったものが谷間になってしまったということのようです。「だから先生も・・・」に続くのは、先生様から教師になり、今ではただの教員になってしまったという言葉でしょうか。
 何か社会問題が起きると「学校のせいだ」「教育はどうなっている」「教員は自覚が足りない」というような言葉が聞かれます。そのたびに、茶碗の底で右往左往しているように見えるのでしょうね、こういう人には。
 人々の意識の中で、こうして学校の位置が下がってきたということを踏まえると、モンスターペアレントやクレーマーはじめ、いろいろな「教育課題」が生じるのも無理はないなあと思わざるを得ません。

 電子教科書については、総務省のフューチャー事業が仕分けに遭ってしまいました。
 今は予算はなくとも歯を食いしばって未来の教育を試していかなくてはならない時なのに、ここで中止してしまうのは大変残念なことです。スパコンの例でも分かるように、「一位を目指す意味」すら理解できない政治家にはうんざりさせられます。しかし、この国ではそうした思考法は今に始まったことではないように思われます。

 もっとも、実験が文科省ではなく総務省で行われていたこと自体が大変奇妙でした。恐らく教育界とは違う観点からの要請があったからでしょう。また実験の中止についても、別の観点からの要請があったことが考えられます。国家百年の計とか米百俵の精神とか言いながら、それが最も必要とされる教育ですら目先の利害関係やしきたりやしがらみに左右され続けてきたのがこの国の実情なのです。
 では文科省がどうかといえば、お世辞にも熱心とは言い難い状況です。指針を出したり、会議を開いたり、なにやらもそもそとやっているのは、いざという時のため布石を打っているとしか思われません。要するに「いろいろな意見がある状況で積極的にリードはしたくない」。けれども、「もしやることになったのなら、それはおいらの縄張りだ」という姿勢を取っているのでしょうね。考え過ぎでしょうか?
 少なくとも検定制度や教科書支給制度について何か考えがあるのかないのか、準備が進められているようには感じられませんが、なにか情報がありましたら教えてください。
 ※ コメントは右下の「コメント」から書き込んでくださいね。
 しかし、そうであろうとなかろうとここでは関係ありません。
 なぜなら子どもたちの学習にとって、どのようは方法が必要なのかが問題なのですから。
 一方、推進を訴える側では、機器がどうとかOSをどうするかとか、すぐにオタクっぽいところに話が行きがちです。それも大事だけれど、学校の役割の歴史を見ていくことも大切ではないかと、思うのです。
 

 「謄写版時代」は紆余曲折を経て、実は、つい最近まで続いていた。
 それが変わったのを、こんな事件で痛感した。

 台風が来た。翌日は休校になる可能性が高く、そうでなくても給食の実施は無理と決まった。警報が出たので子どもは下校させた。
 その下校の真っ最中にかかった保護者からの電話は、学校への抗議だった。
 「暴風警報が出たのに下校させないの?」
 「下校させました。通学団ごとに担当が引率して児童の安全を守ります」
 「給食中止の通知はしたんですか?」
 「下校し始めたところに連絡があったので、これから電話で広げます」
 「そんなことで連絡が徹底できるのですか・・・ちょっと待て。携帯メールが来たから・・・」
 「先生、ごめんなさい」。「どうしたのですか?」
 「今メールが届いて、下校のことと明日の給食のことが書いてあります」
 「うちの学校からですね」
 「そうですよ。あ、家に誰もいない子は学校に戻る。明日は給食がない・・・」
 「それって、本校からですよね?」
 「まちがいありませんよ。校長先生」

 それはプリント時代の終焉を告げるものだった。
 電話の主は感心したように、また自分の抗議電話を恥じるように言った。プリントよりもメールですね。

 学校に行くと子どもたちは生意気になっていったけど、それはいつの時代も同じじゃあないの?と古老は言った。

 「学校って、良いところだったのですね?」と聞くと、彼は中空を眺めて昔の生活場面を一ページずつめくっていった。
 運動会や学芸会、映画会は村中の楽しみだったよ。みんなが弁当や酒まで持ち込んでさ、お祭りだね。さすがに授業参観は酒なしだったけれどね。季節ごとにみんなが一息ついたってところかな。なにかがあると学校に行き、行事だけではなくて木を植えたり松の手入れをしたり、草取りをしたり水たまりを埋めたり、先生だけではできないからね。子どものため、学校のために力を合わせたものさ。
 それに、大事なことは子どもたちに教育をつけてくれたということさ。中学は誰でも行けるようになったけど、高校や大学に行くためには勉強が大事だからね。
 先生たちは宿題を出したから、子どもたちが「宿題があるから手伝いができない」なんて言うようになって、家としてはとても困ったんだ。子どもも労働力だったからね。でも今から考えるとあれで良かったんだ。皆がよく勉強して高校に進み、大学にも行ったんだ。先生おかげだと思うよ。
 もし学校がなかったら、この地味が悪くて貧しい開拓地に、あの子たちはしがみついていなくてはならなかったのだからね。
 「先生様だったんですね?」 そうですよ。先生様ですよ。う〜ん、考えてみると和尚さんや神主さんと同じかもしれないね。モノは作らないが、教えたり救ったりしてくれる、広い世間を知っているし子どもたちだけではなくてみんなにいろいろと教えてくれるのだから。
 だから学校は良いところだし、先生様がいたんだよ。
 

 
 

↑このページのトップヘ