未来ユメ日記 by GG

夢、ゆめ、ユメ。未来に向けてユメを語ろう。教育・テクノロジー・地球の未来・歴史・ドラゴンズ・・定年退職を迎えた2012・4・1から、未来に向けてユメを紡ぐ

カテゴリ: 学校の先生

担任にとっても教務主任にとっても、点検は時間くうだけでなく、気分的にもいやなものだった。誤字脱字、文章表現の見落としの点検は保護者や児童の手前、必ずしなくてはならないが、教師として間違いがあるということ自体が自分にとっても点検者にとってもショックである。

閑話休題、若い頃校長にからかわれた。「羊は耳が出ていて足が四本。お前の羊は耳がないのか二足歩行か?」。謎掛けのようだが、僕は「達」という字のつくりの羊の横線を二本しか引かない癖があったのだ。

ところが教務主任と教頭が羊の一画を見落とした。誤字を書いた自分だけではなく、それを見落とした二人も校長のからかいの的となった。と思い出しながら「あれは新任の年ではなかった」ことに気がついた。僕は数年にわたって二足歩行の羊を書き続けていたのだった。

さて山ちゃんは、例の手書派女性に「誤字でごちゃごちゃ言われないし、パソコンで打ってしまえば手で書かなくて良いのだ」と話したしたようだ。彼女は、幾分かでも楽になれば良いという人なので、迷うことなく飛びついてきた。

朝の打ち合わせで「通知表作成についての説明が、きちんとなされていないことは問題である」と発言した。しかし「校長が強く望むならPC化しても良い」と言った。校長は「無理に勧める気はないが、先生の決断には経緯を表する」と答えた。プライドの高い人たちは、なにかと手続きがお好きなようである。

こうして通知表のPC化は全員が取り組むことになった。研究期間をおくこともなく研修を組むこともなく、あっけないほど簡単に実現してしまったのである。ある意味で山ちゃんがいろいろと言ってくれたことが効果的だったのかも知れない。

見た目には手描きからプリントアウトに変わっただけだ。それにより、誤字脱字がなくなったとか、辞書と首っ引きで点検しなくても良くなったという効果があった。しかしそれ以上に意外な効果があったのだ。印刷費の節約か? それもある。しかしそんなことだけではない。

こうして山ちゃんがこの学校での最初の熱烈な支持者になった。彼は長く努めてきただけに管理職のすすめる「新兵器」が厄介なものであることを知っており、またPCをかなり操れるだけに「そう簡単には実用性がない」と思っていたのだ。つまり裏側を強く感じるだけに反対の気持ちが強かったのだ。

しかし、PCの威力は予感していたのであり、「時には管理職も良い提案をすること」があり、「そんな機会は逃さないように固定」するべきだと思っているのだ。それが彼が即時方向転換の理由だった。

具体的な業務から見ると、通知表作成の「\績処理、一覧表作成、6橘魁Χ菊点検、0賤表からの転記、ぢ佝翕生 ↓ゲ^、終業式での手渡し」といった流れから、とい消えてしまった。山ちゃんも一転して大賛成である。

山ちゃんは「通知表PC化」と聞いて、これまでの業務に加えて研修があり、作業が増えると思っていたらしい。お上からの多くの「改善」は確かにそのようなものであった。書式通りの紙の報告はこれまで通りに提出せよ、そしてそれに加えて、電子データでも報告せよ。というように。

通知表作成で、0賤表から通知表への転記とぐ賤表と通知表とを対比点検という作業ほど面倒なものはなかった。担任は自分が作った一覧表から通知上に書き込む。時には自宅での夜なべ仕事や休日出勤が必要だった。

教務主任にとっては、6橘骸臟い箒菊による点検、ぐ賤表と通知表とを対比点検は、数百枚の通知状を自宅に持って帰る訳にもいかず、学校で遅くまでの作業となった。 しかし対比点検ほど眠気を誘うも作業はなく、誤字脱字、文章表現の見落としはかなりあったに違いない。

教務主任はクラスごとのファイル作り続いて、「記入の要領」と「一覧表打ち出しサンプル」を作って、学期末の作業に入る前に説明して回った。すでに多くの教師がエクセルで下書きをしていたので、「ああ、このファイルに入れればいいんだね」といった程度の説明で十分だった。

いよいよ学期末である。教師たちは成績を集計し、所見を考えながら自分のクラスのファイルに成績を記入し始めた。ちなみに通知表には、評価と評定と所見、それから出欠などの記録が記入される。観点ごとの成績が評価であり、それを集計して教科ごとにくくったものが評定である。

山ちゃんは「校長さん、PC化でもいいし、手書きでも良いと言ったよね」と言いながら打ち出した一覧表を提出してきた。彼も教務主任作成のファイルに記入していたのだ。そこから彼は「手書き」にしていくつもりだった。それが許されるのかどうか確認したかった。

校長は「手書きでもいいよ、約束だから」と言いながら彼のクラスの「紙の一覧表」を受け取った。そして自分のパソコンから「通知表フォルダー」を開き、彼のクラスのファイルを開くと「お約束のボタンを押した」のだった。すると・・・

校長は裏切らない。手書きでも良いといった以上は手書きで結構だと思っている。時代の常識から考えて、プリントアウトされたものが奇異な感じを与えるとは思わないし、保護者に大きな反発があろうとも思っていない。ま、数件の異論は出るかも知らないがとは思っていたが。

「もちろん約束だから手書きでもいいよ」。そう言いながら、ファイルに設けられた「お約束のボタン」を押した。校長は内心「枚数は3枚くらいにしておこうか」と考えていた。

校長はそう見えたが、本当に妥協したのだろうか?実はいつかは全員がPC化するという確信があったのではないか。その手応えは「一覧表のPC化」をほとんどの教師が歓迎したことによる。いや、“いつか”どころかすぐにでも完全実施できると踏んでいたかもしれない。

それはある確信があったからだ。その確信とは「PCを良く考えて活用すれば、教師の雑務を減らすことができる」というものである。費用対効果をコストパフォーマンスという。教育の、まずは機械的な事務部分でのコストパフォーマンスをPCが減らしうる。

しかしそれには、教務主任の努力が必要だった。彼はサーバーに「通知表>>○年○組」というフォルダーを作り、二つのファイルを用意しておいた。いやファイルは一つだったかもしれない。

とにかく共有サーバーの「○年○組フォルダー」には、一覧表ファイルの他に印刷用のファイルあるいは印刷用の仕組みが用意されていたのだ。彼は元ファイルのコピーを24ほど作った。それはそれで眠くなるような作業だっただろう。

しかし彼の努力は「何百回も辞書をひく」という作業をなくすことによって報われる。文字の点画のありようについてはPCの、詳細はわからないが魔法のような仕組みが確保してくれる。文の構成だってPCがチェックしてくれる。

0賤表がOKとなると、通知表への転記のはこびとなる。一覧表から成績と所見を通知表に書き写すのだ。うっかり行を間違えたりすると他の子の成績を記入してしまうことになるので、間違えないように慎重に作業する。

一学期の通知表は間違えても用紙さえあればなんとかなる。しかし二学期三学期となるとそうはいかない。すでに前の学期分が記入してあるからだ。間違えた場合は「砂消しゴム」という消しゴムで、それと分からないように慎重に消したものだ。そんな時に電池駆動の電動消しゴムが便利だった。

い楼賤表と通知表との対比点検だ。一覧表にクラス分の通知表を挟んで、輪ゴムでとじて提出する。それを教務主任と教頭が、正しく転記されているかどうか、誤字はないかと点検する。この時点で転記ミスが発見されると悲鳴が上がる。

ッ看い塙残垢硫^。担任はい涼奮で押印して提出している。あとは校長の点検と押印だ。ここに来るまで担任の緊張の作業と教務主任と教頭の子どもの数×ここまでの手順の作業が終わることになる。

校長の作業に限っても、数百枚の通知表を読みながら押印するのはなかなかの仕事量だ。もしもなまけ者の校長がろくに読みもしないで印鑑を押すだけの途を選んだとしても、校長の利き手の人差し指の付け根は赤くなって痛みを覚えるようになるに違いない。

こうして、いよいよ「終業式で児童への手渡し」となる。しかし「渡して終わり」となるわけではない。保護者から質問や不審や、時には異議申し立てがあり、また時には泣き落としに近いお願いが入ることもある。
それは、また別の物語で語ることにしよう。

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