未来ユメ日記 by GG

夢、ゆめ、ユメ。未来に向けてユメを語ろう。教育・テクノロジー・地球の未来・歴史・ドラゴンズ・・定年退職を迎えた2012・4・1から、未来に向けてユメを紡ぐ

カテゴリ : 学校の先生

通知表PC化の落とし穴は、校長の押印をセット出来なかったことだった。担任にとっては楽になった麺があるが、校長にとってはこれまでどおり一枚一枚手で押印しなくてはならない。ある退職校長は「通知表と聞くたびに右手の人差指の付け根がうずく」と語っている。

一方、あの時PC化に強く反対した山ちゃんは、勤務年限が来て転勤する際に転勤先の学校の条件として「出来たら、通知表のPC化された学校にしてもらえませんか」と希望してきた。

念のために言っておこう。他府県、他地域、他校はイザ知らず、ここの校長に限っては教師を飛ばすということはしたことがない。山ちゃんの場合も在任10年にもなっていたため、異動せざるを得なかったのである。だから校長に反対したから転勤させたというわけでは決して無い。

なお彼の転勤先は通知表PC化していなかった。だから彼の気に入る学校はなかった。そこで校長は転勤先の校長に「山ちゃんは通知表PC化の指導者になれる」と紹介し、その学校でもPC化が始まった。こうして結果的に山ちゃんの望むような状況となった。

例の手書派女性教師は、表面的な言葉とは裏腹に、信念で「手書き」を主張していたわけではない。ただ「楽な方」を選んだだけのことだった。こうした人が納得出来るようにすることは難しい。

しかしある意味で彼女以上に楽を追求し手抜きの極意を極めていかないと本当のPC化にはつながらない。楽かどうか言い換えれば無駄が省かれるかどうか、彼女のような敏感な嗅覚は得難い道しるべになりうる。ただし、本来的な業務まで軽視されないようには注意しなくてはならないが。

さてPC化は実現された。実現した途端に「プレビューが見たい」「フォントを選びたい」「個々の児童の成績履歴を参考にしたい」「出欠を自動的に記入したい」などなど、要望がいっぱい出てきた。なるほどどれをとっても納得できる要望である。これらを実現していくためには優れた「校務支援ソフト」の出現を待たなくてはならない。

落とし穴を語る前に、PC化の影響を見てみよう。児童は特に何の反応も示さなかった。ほんの一部の子が「カッコいいじゃん」と言ったとか言わないとか。彼らにとっては良い成績と良い所見があれば終業式の一日が乗りきれるわけであって、通知表の形式などどうでもよいのだろう

保護者はといえば、これもほとんど無反応であった。保護者からの積極的な反応はなく、もちろん抗議や苦情もなかった。恐る恐る「PC化しましたがどう思われますか?」と聞くと「あれ前からじゃなかったですか」とか「やっと学校も世間並みですね」と言われる始末だった。

しかし保護者の反応については十分な洞察力が必要だ。必ずしも正直な感想が語られるわけではないからだ。保護者間で学校への反発が充満しているとしてもそれが学校に伝わってくるとは限らない。

それにしても保護者の期待応えるためには通知表を手で欠く状態に後戻りさせるのではなく、より充実した個別指導を行い、それを家庭連絡や所見の充実に反映させることが重要なのである。

教育委員会は、建前としては校長の選択に干渉しないし、通知表は校長を指導するべき事柄でもない。むしろPC導入に多額の予算をつぎ込んできただけに「具体的な使用例」として議会質問への回答の一つの材料を得た気持ちだったのではないか。

事実、通知表を印刷するための「印刷製本費」のかなりの部分が不要となった。それにしても年間のIT予算に比べるとほんの1%ほどでしかなかったが、成果はないよりもある方がよい。「全校へのパソコンやLANの配備によりこれまでの予算を節約することができた」と数字抜きで語れば良いのだから。

他校の校長は、賢明な人は自校の職員に「様子を見よう」と答えていた。そうでない人は「手書きのぬくもり」とか「本来、心を込めて手で書いて渡すべき」といった紋切り型の拒否回答をしていたようだ。賢明でない校長は自分の言葉に囚われて、PC化にも踏み切れず右往左往している。

 29日にキャンプから帰着して、そのまま大規模改造の打ち合わせに入りました。

 「通知表なう」はいよいよ終章を迎えます。

 最後までお読み頂きましてありがとうございました。

 ところで次はなににしましょうかね?

 校務支援ソフトなう、かな?

 ともあれ、右のカテゴリーの「学校の先生」をクリックすると、始めから読むことができます。
 それとも「通知表なう」という新カテゴリーでまとめましょうか?

通知表のPC化は、思わぬ効果をもたらした。一覧表提出日が数日後ろにずらされることになったのである。「転記」と「点検修正」の日数が不要になったので、終業式から逆算して日程が圧縮されるのは当然だ。

そしてそれは「実質指導日数」が延びることにつながったのだ。ここが重要なのだ。お分かりかな? これが実は学校にとっては、画期的なことであった。

教師は成績を集計するとあとは通知表作成に力をいれるため、指導への力が抜けることがある。実質の夏休み入だな。それが数日遅くなったのだ。「それではいけない、成績集計後の授業は二学期に反映する」というのが建前だが「暑い中で一息つけばあとは夏休み」と思うのが人情というモノ。

通知表PC化により一覧表提出日を例えば数日、具体的には5日下げたとしよう。3学期制では一年に15日、6年で90日が「実質指導日数」として復活する。90日は6時間授業として540時間。計算すれば半年が有効になる。

土曜日が休みになったことを嘆く人が多いが、年間35週間(学校は35週間が単位)に4時間なら120時間。小学校並みの3時間なら105時間が指導時間だった。通知表をPC化したことにより実に5年間以上の時間数が生き返ったのだ。

しかしだ。通知表PC化にも思わぬ落とし穴があった。押印だ。子どもは有効な時間数が増える。担任は作業時間が節約され誤字脱字のプライドも傷つかない。印刷費は節約できるし、データの蓄積もできる。しかし良いことづくめではなかったのだ。

担任にとっても教務主任にとっても、点検は時間くうだけでなく、気分的にもいやなものだった。誤字脱字、文章表現の見落としの点検は保護者や児童の手前、必ずしなくてはならないが、教師として間違いがあるということ自体が自分にとっても点検者にとってもショックである。

閑話休題、若い頃校長にからかわれた。「羊は耳が出ていて足が四本。お前の羊は耳がないのか二足歩行か?」。謎掛けのようだが、僕は「達」という字のつくりの羊の横線を二本しか引かない癖があったのだ。

ところが教務主任と教頭が羊の一画を見落とした。誤字を書いた自分だけではなく、それを見落とした二人も校長のからかいの的となった。と思い出しながら「あれは新任の年ではなかった」ことに気がついた。僕は数年にわたって二足歩行の羊を書き続けていたのだった。

さて山ちゃんは、例の手書派女性に「誤字でごちゃごちゃ言われないし、パソコンで打ってしまえば手で書かなくて良いのだ」と話したしたようだ。彼女は、幾分かでも楽になれば良いという人なので、迷うことなく飛びついてきた。

朝の打ち合わせで「通知表作成についての説明が、きちんとなされていないことは問題である」と発言した。しかし「校長が強く望むならPC化しても良い」と言った。校長は「無理に勧める気はないが、先生の決断には経緯を表する」と答えた。プライドの高い人たちは、なにかと手続きがお好きなようである。

こうして通知表のPC化は全員が取り組むことになった。研究期間をおくこともなく研修を組むこともなく、あっけないほど簡単に実現してしまったのである。ある意味で山ちゃんがいろいろと言ってくれたことが効果的だったのかも知れない。

見た目には手描きからプリントアウトに変わっただけだ。それにより、誤字脱字がなくなったとか、辞書と首っ引きで点検しなくても良くなったという効果があった。しかしそれ以上に意外な効果があったのだ。印刷費の節約か? それもある。しかしそんなことだけではない。

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