10月5日のロックアウトについてまた書きます。
 老恩師はロックアウトではないという「名称論争」に引きずり込もうとしますが、言葉にはこだわりません。
 日本語の面白いところは語彙がやたらと多いことです。特に事件や歴史的な出来事についてそれが言えます。そして、その出来事についての評価がいつのまにか語彙の使い方の議論になってしまって、話が分からなくなってしまいます。これは面白いというよりも困ったことというべきでしょうかね。

 戦争、戦役、紛争、事変、戦い、乱、事件・・・。暗殺、変、謀殺、だまし討ち、闇討ち・・・。撤退、敗退、玉砕、転進・・・。実にいろいろな語彙が使われています。ところが・・・
 西南戦争の両軍の死者は1万5千くらい、日清戦争では3万4千人の死傷病者があったそうです。これらは戦争と呼ばれています。
 一方、ノモンハン事件では2万弱の死傷者があったというのに「事件」なのです。変だと思いませんか?
 そこには当時の軍部の「公表したくない」「大戦争だと思われたくない」という意図が生きているわけで、歴史の検証が過去の亡霊に縛られていることになってしまいます。
 ノモンハン戦争、佐賀戦争などと統一した呼称を使うべきでしょう。

 ということで、10月5日をロックアウトと呼ぶかどうかについてはこだわりません。
 「学校を守るために」という理由で、登校して来た生徒を締め出したことさえ、歴史的な事実として確認されれば十分です。
 さあそこで、学校とは何かという問いが生じるわけです。
 あなた方が守ったのは「校地校舎と自分たちだけであって、学校を守ったのではなかったよね」という気持ちが、「何から何を守ったのか?」という問いなのです。
 建物と運動場とを教師が守ったのだ、それが旭丘を守ることじゃあないかといったとたんに、生徒を忘れてしまったことに、まだ気づかないのでしょうか?
 学校って、一体なんなのでしょうか?