久しぶりの投稿です。
 「とうこう」と打ったら登校が出てきたので、登校拒否という言葉を思い出してしまいました。登校拒否を不登校と言い換えて、なにか状況は変わったのでしょうか?
 確かに格差拡大で貧困のために登校できない子は、拒否ではありませんがね。登校不能ですね。
 しかし気持ちの根底には「拒否」という心情もあるのではないかと思われます。

 ところで、今日、例の大昔の恩師から電話がありました。
 本を出したことも、断りなく実名を公表したことも、私が「違います」と指摘したことへの変更もなく、明るい声での電話でした。
 困ったものです。


 最近、私の投稿を「楽しみにしているよ」と言ってくださった方がいらっしゃいます。
 それなのに、なかなか書けなくて申し訳ないことをしています。

 この間の私にとっての大事件は、40年ぶりに友人に会ったこと。それは先週の日曜日のことでした。彼は長らく自民党の参議院議員をやっていて、先回の選挙前に勇退した人です。なんだかとんでもなく偉い職についていたということですが、私の態度は三歳先輩に対するくらいのものだったので、一緒に会った人がヒヤヒヤしていたようです。
 「なんだお前、自民党議員と友達か?」という声が聞こえてきそうですが、そんなことは気にしませんね。私は。
 だからいつの間にか右から左からたくさんの方々がお付き合いをしてくださる。ありがたいことです。
 見た目や党派で人を仕切るのは苦手です。嘘のない人、一生懸命やっている人、人を押しのけてでも自分だけが良い恰好をしない人などとは親しくなりたいと思っています。

 例の老いた恩師から、電話の中で「君こそ誰よりもセクト的だ」といわれてしまいました。
 彼から見ればそうかもしれません。しかし、パルタイという超セクト的な生き方をしてきたその彼からセクト的と呼ばれるのは、どう受け止めればよいのでしょうか?
 褒められたのか、叱られたのか、訳が分かりません。