バッチ問題は一定の話題になったのだったかもしれません。
 制服には教師たちは敏感でした。

 そのこともあって、69年の日々には一挙に決議をして校則を変えてしまおうという誘惑がありました。しかし、そうはしなかったのです。
 これも一種の守りの姿勢だったかもしれません。が、決議で水面下に引き上げてしまうと、いつか反動によって私服化の動きが正式に潰されるのではないかという考えがありました。せっかくじりじりと制服フリーの動きが始まっているのだから、このまま自然な流れに流れに任せてしまおうという事です。
 流れという実態があるのに、決議やルールという抽象的なレベルでの動きを加えると、その抽象的なレベルが覆された時に実態までもが回れ右となる。そうなったら次は何年先になるかわからないじゃないかという考えです。

 今にして思えばだからこそ長年に渡って私服登校という実態が積み上げられ、相当なエネルギーを注がないと後戻りさせられないような伝統になってしまったなと思わざるを得ません。
 それにもう一つ。生徒が一丸とならなくてはいけない時に、対立を生むかもしれない話題は極力避けていきたいと思ったものでした。