抽象的なスローガンが声高に叫ばれる中、妙に現実的な疑問を投げかける生徒がいました。
 「封鎖? やろうじゃないのよ。やりましょう」「どこにする?職員室?」「校長室もいいじゃない」「で、水はあるの?トイレはどうする」「保健室じゃあ、なんだかカッコ悪いよね」、こうなると疑問の山で責めつけるのがS君の特技でした。
 こうなると「そもそも論」とか「あるべき論」はたじたじです。演繹と分析の違いという事です。
 封鎖推進派の諸君は「じゃあ、図書室です」「あそこを拠点にしましょう」
 「分かった。図書室だね」「いいじゃない。でも水道はあるのかなあ」「トイレは、確かにあるよね。四階が妥当というものだね」
 「ありがとうございます。四階の図書館をターゲットにします」
 「でも、待ってよ」「何日間封鎖するつもりかしら」「日数が増えると食料も必要だけど、どうなんだろう。外から差し入れできるのかしらね」
 「それは、支持が集まるはずですから」
 「支持とか連帯とかというんじゃないんだよね」「物理よ。物理的なこと」「良い?四階を封鎖するでしょ」・・・S君の、疑問は延々と投げかけられるのでした。