ですから封鎖をするかしないかが、学生生徒の側からするととても大切なハードルだったのです。一方、封鎖をいかにさせないかが文部省県教委学校当局の側にとっての課題でした。封鎖があれば紛争校になってしまうのですからそれを防ぐのにやっきになるわけです。

 地方のいわゆるエリート校であると自他ともに認められていた旭丘は「なんでもかでもリードするのが自分たちだ」という潮流というか自覚というような風潮があって、封鎖についてもそう覚悟していたのではないでしょうか。

 言い換えれば、「封鎖はやらないかんだろうな」「自分がやるか誰がやるかは別として」そというようなところまで来ていたのではないでしょうか。

 校長先生や教職員も「いつか来るだろう」と予感されていたのではないでしょうか。
 もっといえば「やるなら、うちがやらねばならない」「うちに違いない」と、みんなが追い込まれていたのではないでしょうか?