不思議なことに、それぞれの時代の「活動」はいつの間にかパターン化してアナロジカルな軌跡をたどります。

 これは共鳴とか同期といったものなのでしょうか。
 あるいは、活動の権威化とでもいうべきものなのでしょうか。

 当時の大学高校では、特に東大安田講堂以降では、封鎖という言葉が一つのカギを握ることになりました。「封鎖をしないと学園紛争の仲間に入れない」とでもいうように。

 そう考えると活動にはモードとがあり、一定のイニシエーションを経ることによって連帯の輪に入ることができるという共同の論理が働いていたことになります。

 あるいは無意識的に相似行動をとるという習性があるのかもしれません。相対する人の一方が右によけると、他方もそれに合わせて左によけるので二度三度とぶつかりそうになるというあれです。

 問題提起、それに対する無視あるいは反動、封鎖、機動隊導入による封鎖の解除と活動家の排除、正常化という反動の徹底。
 それが当時のパターンでした。