『彼の一言で「封鎖のありよう」が決まった。それは「微分」の講義のようだった』と述べました。
 クラブハウスでの連日の話し合いの中で封鎖についてが議論されていました。

 やるか、やらないか。やるとしたら、いつ、どこで、いつまで。補給はどうするか。機動隊が導入された時の対応はどうする。
 負け戦になることは100%分かりきった事です。しかも警察も県教委も職員会議も、封鎖への心構えは十分に出来ています。

 しかし、それでも封鎖はやらねばならないという意見が支配的でした。氏が「全闘委」「シンパ」「一般生徒」と分けて考えておられる生徒たちは、そうした分断を最も警戒していました。

 教師には区別したいという願望があるようですが、それは一種のスペクトラムであって、ここからこっちが「全闘委」、そうではないのが「一般生徒」となど気持ちよく区切ることが出来るものではないのです。