当時の旭丘高校というのは多士済々。どんなことにでも専門家のような生徒がいるというおかしな学校でした。おかしなという言い方はなんだか変に思われる方もあるでしょう。

 しかし、フランス語の小説を読む生徒とか、定期試験でほぼ満点をとる生徒とか、お経に詳しいが映画を撮る、不思議なコンピュータ用語(アップル兇糧売は1977年のことに注意)を並べ立てる、漢文なら教師よりも詳しい、歴史にやたらと詳しい、毛沢東に詳しい、マルクスエンゲルスに詳しい、戦略戦術にくさしいといった「詳しい系」の生徒がいるかと思えば、野球強豪校との試合でホームランを打った、ボートで全国大会出場、ラグビーでやたらと強いといった「強い系」や、法学博士、経済学博士、論理学博士、物理学博士としかいいようのない生徒がいたのです。

 しかもばらばらに活動するいまでいう「おたく」ではなく、政治的な問題にも関心があってみんなで話し合うことが出来たのです。
 おかしな生徒たちでしょ?

 中には、とにかくやたらと冷静で、自分からは発言しないけれど、大切な所で重要なことを言うという生徒がいました。
 彼の一言で「封鎖のありよう」が決まったのではなかったかと思いだされます。まるで「微分」の講義のような話でした。