ズバリ、言っておきましょう。当たり障りのない所で。

 封鎖は、突入して封鎖宣言したとたんに自主解除というか退去するという計画だったのです。(それ故に、解除しただの排除しただのという手柄話は全くの無意味なのです。しかし、一つだけ疎漏がありました)

 封鎖部隊は、魁です。いわば名誉あるアウロラ号だったのです。
 同時に、封鎖実行を全校に触れ回るというグループがありました。
 同時に、放送室を確保するというグループがありました。
 封鎖の次は、放送室確保と生徒会長による全校放送です。それに気付いた先生もありましたが放送室には入れません。多くの生徒が入り口から放送室までなんとなく密集していてラッシュアワー状態だったのです。みんなが放送室に向かって殺到していたので、先生がそれをかき分けて放送を止めさせるまでには至らなかったのです。ですからラッシュがあっただけでもみあいはなかったでしょう。

 でも、それはそのような計画が着々と進んでいただけなんです。

 別の生徒たちは、校長室の様子を8ミリカメラで撮影する者あり、県教委に電話する者あり、新聞社や放送局に電話する者あり、計画的にあるいは自主的にそれぞれの特技を生かし、覚悟をもって、行動していたのです。

 すべての主目的は全校集会の成立です。それが出来なければ、我々は「正常な教育活動を乱した者」として、処分の嵐に見舞われたことでしょう。
 70年のハンストの諸君のように。

 どの役割を誰が果たしたのか。だれが計画の中で割り当てら、だれが自発的だったのか、ああ、名前は忘れても顔が浮かんできます。
 封鎖が未遂か既遂か。誰が解除したのか、退去撤退したのか。そんなことは、全くどうでも良いことだったのです。