ルネサンスの画家ラファエロの「アテナイの学堂」という絵には教えるものと教えられる者が一堂に会するように描かれています。

 中世に至っても大学は学生や教授の組合みたいなもので、定まった学舎を持っていなかったところも多かったそうです。
 大学によっては学生組合が実権を握っていたり、教授陣の力が強かったりといろいろなパターンがあったようですが、いずれも人が中心で、人間関係が第一にあると考えられていたことが忍ばれます。

 教える者と学ぶ者の学びの関係、そういう歴史を誇り高く踏まえていたはずの旭丘高校が馬脚を現してしまってのが10月5日であり、70年の保護者との話し合いの場所ではなかったでしょうか?
 生徒の登校禁止と登校してきた生徒の門前払い。それが10月5日。
 「学校は県有物であり・・・。公共物を私的に管理者の断りもなく使って・・・」。これを県教委や校長や警察が言うのなら、その立場からの言葉として受け止めることが出来ますが、まさか「進歩的な」教師から聞かされようとは、全くの驚きです。

 たかが数人の生徒が座り込んでいるだけなのに、県有物、法治国家を持ち出していうべきことでしょうか?

 そこには生徒を犯罪者を見る視点しかありません。座り込んだ生徒をそう見るならば、封鎖をした生徒やそのシンパはもっと許せなかったに違いありません。