保護者は「それでは旭丘の民主主義が泣くよ」と言われたとのこと。
 全くその通り。
 泣きます。
 私も泣きます。

 場所は校舎中央の生徒登校通路。なつかしいあの場所が目に浮かぶ。そして、他の生徒の通学や学習を妨害している訳ではなさそうだ。
 むしろ、だからこそ「処分」ができたのだろうと私は確信している。

 得意げに語られる保護者とのやりとりで氏が述べたと言われることを引用しましょう。
 「これ以上座り込みを許す訳にはいきません」
 「警察を呼んででも、退去してもらわざるを得ません」
「県教委に言われて警察にお願いするのではなく、学校の自主判断によって行うのです」
 「学校は県有物であり、・・・いつまでも公共物を私的に・・・使っていいのですか」
 「それはご都合主義の言い分です・・・法治国家のルールを無法に乱す行為は容認しないと明確に言っているではないですか・・・」
 
 ここで露わになっていることは、教育的な内容ではありませんね。

 座り込みを許すとか許さないとかといういわゆる上から目線。
 県教委よりも先に警察を導入するという構え。
 そして法を盾にとっての生徒への対決姿勢。
 どこにも教育的な姿勢が感じられない、いわばケンカ腰です。

 教育に携わる者として、保護者が「仕方がない、連れて帰るか」と決断するはどのような意味があるのか、お分かりにならなかったのでしょう。
 それを、「35歳の若者(その時の私)でなければ、出来ないことだったかも知れない」と今でも手柄と思っておられるのです。