69,70年度の二年間をひとまとまりに考えると、ステージは4つの山がありました。

 第一場は、69年の10月5日の全愛知高校生決起集会です。これはロックアウトで終わりました。「全校集会でこの方針を説明し、大方の生徒の了解は得られた」とありますが、本当でしょうか?
 少なくとも、氏の考える「学校」とは校舎と自分たち教師であって、必要とあれば生徒は登校を禁止する対象でしかなかったことが明らかです。
 もし氏の言われるように「大方の了解」があったのなら、なぜ生徒の力を信じなかったのでしょうか?
 後に卒業式で「感動的な教師擁護演説」をすることになる私にさえ、氏が門扉越しにどのような言葉を投げつけられたのか覚えてはいらっしゃらないのでしょうか?

 第二場は11月11日からの日々です。これについては、あとで述べることにしましょう。

 第三場が卒業式。
 そして第四場が70年度のハンストへの対応です。