28ページに「★69,70年度を乗り切り学校は復活した」とあります。
 この二年間をひとまとまりに捉える考え方には賛成です。

 しかし、70年に2名の無期停学、2名の無期謹慎・校長訓戒、5名の担任訓告が出されたのでした。ところが、29ページには「退学した生徒(自主退学)は2名にとどめることができ・・・」とあり、「大切なことは、旭丘という学校のフレームが壊れることなく1970年代へと引き継がれたことであろう」と自画自賛していらっしゃる。

 そうなのでしょうか?
 私たちは69年に「一人の怪我人も処分者も出さい」という目標を掲げていました。それは「人道主義」によるものではなく、格好よく言えば「旭丘のフレームを大切に」したかったからであり、「お互いが身を守るために」必要なことだったからです。そのために知恵を絞って数々の方法を打ち出していったのです。
 退学者については「自主退学」であって、学校が退学させたのではないぞという責任回避の考えが見え隠れしています。

 広林氏はもしも69年が大混乱に陥ったとしても、後にこのような文を書いたのではないでしょうか?
 「処分者を100名余りだしたが、退学した生徒(自主退学)は50名にとどめることができ、教師の結束によって学校のフレームは壊されることなく後に続いたのであった」と。
 言い過ぎかって? とんでもない。
 36ページでは、東大紛争に区切りをつけた加藤学長にご自身をなぞらえていらっしゃる。ああ、東大ではどれだけの血が流されたことか。