Mさんがどの位置に居たのかは覚えていません。しかし後に愛高教という立場で文を書かれた人が、あの集会の場に居たとしても、なんらの不思議はありません。「2年生の全闘委の生徒にガイブセクトのメンバーが加わり20名くらい」居て最悪のパターンになりそうなところに、Mさんが、その後の変節があったのかなかったのかに関わらず私の話が聞こえるくらいの距離にいたとしたら、それこそが旭丘の民主主義だったのではないでしょうか。
 誰もを排除しないというのが私たちの「主義」だったのですから。
 もし彼らがH先生が繰り返し書かれ、Mさんが書いたような「全共闘系の一部過激派」「全闘委」「シンパ」「外部セクト」といういかにも危険な集団であったなら、あなたはそばに寄れましたか?