名古屋経営短期大学の学生諸君と付き合っている。
 大半は真面目な人たちである。中には怠けてしまう学生もいるが、事前に予想したような出来ない、能力の低い、いい加減な人たちではない。
 彼らはきちんとした字で丁寧に書くことができる。教科書を大切にしている。出席態度も良好で、単位をしっかり取っている。そして何よりも退学や休学が少ない。
 おそらく誰もが「字は丁寧に」「ノートはきちんと」「教科書を大切に」「ちゃんとと出席して」「良い態度で学習し」「単位をしっかり取りなさい」といわれたことがあるのではないか。そして「手を抜くな」「威張るな」「出しゃばるな」「嘘をつくな」「謙虚であれ」と諭されたこともあるだろう。
 そうはいってもなかなか守れないのが実態というものだろうが。それを忠実に守っているのが本学の多くの学生である。大したものではないか。

 しかし、はたしてそうしたことを真面目に実行することは、本当に必要なのだろうか、また良いことなのだろうかと疑問に思わざるをえない。
 一つ二つ例を挙げると、まず教科書が目につく。
 彼らは教科書に線を引かないし破らない。いや、破れないといったほうが良いだろう。ましてやバラバラにすることなど想像もつかないようだ。
 また、自分の経験や努力してきたことを大声で主張しないし、人を差し置いて「それは私がやりましょう」とも言わない。きけばたくさんの資格を持っていたり、全国大会出場といった立派な経験をしてきているのに、それは誇るべきことではないと思い込んでいたりするのだ。
 時には正直のあまり、就職の面接で「ここは第二希望です」と語ってしまうことすらある。
 その他にも「きちんと、ちゃんと、しっかりと、正直に、謙虚に・・・」とはしているが、それがマイナスになっているケースが日々発見される。

 だから僕の任務は、「乱雑でも良いから、ちゃっちゃっとメモをとれ」とか、「教科書に線を引きまくり、分かったところは黒く塗れ」とか、「特技や長所はまず語って押してみよう」とかといった、誰かが聞いたら目をむくような技を教えなくてはならないことになってしまう。
 なんだか後ろめたいよ。悪の手先みたいじゃないか。
 手抜きのコツを教えたり、手っ取り早く点を取ったり、面接官に受けるような答え方を伝授するのは、案外居心地の悪いものだ。しかし、「生きていくスキルには両面がある」ことは事実だし、「ウソも方便」ということも身につけさせなくてはならないと自分に言い聞かせているのである。

 そんなある時、ある学生の一言に救われた。
 「先生申し訳ないけど、手を抜かないけないと思うんです。どうでも良い時に手を抜かないと大事な時に力が入りません」
 そうなんだ。それが真理なのだ。「大切な所に線を引く」というのは「大切ではない所」を見極めて捨てるという行為なのだ。球は磨いて、不要な部分を思い切って捨てることで光るようになる。
 力を抜く、手を抜く、好い加減でもやってみる。そこから能力がにじみ出てくると信じたい