「試験はどうだった?」と聞くと、「ふつう」とぶっきらぼうな返事が返ってくる。
 「元気かな?」と問いかけても「ふつう」である。

 ある日、カレーライスが好きかどうかを聞いてみることにした。答えはやはり「ふつう」だという。
 正確には「ふつうですね」とか「まあふつうでしょ」という言葉をつかったわけである。
 「どんなカレーライスが好きなの?」
 「ふつうのカレーですよ」
 「お肉は何が入っているの?」
 「まあふつうなんだけど、ビーフかな」
 「おれは、ポーク」
 「他には何を入れることがある?」
 「ふつうに、トリがはいっていることもある」
 「どれくらいの量を食べるのかな?」
 「ふつうですよ」

 そこで僕はつっこんでみた。
 「インド人は、牛肉の入ったカレーをふつうだと思うのかな?」
 「アラブの人にポークカレーを出しても良いのだろうか?」
 どういうことか分からないようだ。
 インドでは牛は聖なる動物なんだよ、アラブではブタは悪魔だね。
 「そんなんですか。ということは、インドでビーフカレーはダメなんだ」
 「アラブでポークカレーを出しちゃいけないんだなあ」
 名古屋経営短期大学の学生は素直である。
 物の道理さえ分かれば理解は早い。
 「君たち、ふつーのカレーって、どうなんだい?」
 「だめだなあ、ふつうって言ってては」

 そこで僕は別の例を出す。
 「さっきは量も普通だって言ったけど、ここに幼稚園の子がいてさ、もう一人相撲取りがいるとしようよ」
 「先生、そりゃだめだよ」
 「先生はその二人と俺たちと、みんなにふつうっていわせるんだろ?」
 「そうだよ」
 「そりゃ変だよ」
 「なんで?」
 「だってだねえ、俺のふつうと、幼稚園児や相撲取りのふつうは絶対に違うんだもの」

 「ふつう」と言っても、文化が違えば普通ではない。どころか、大変なことになりかねない。
 また、幼稚園児の普通と大学生の普通と相撲取りの普通では、とんでもない違いがある。
 自分たちだって、ポークとビーフの違いがあるじゃないか。

 「ということで、君たちが使うふつうという言葉では、僕になんの意味も伝わってこないっていうことさ」
 「よし、先生、良く分かったよ。ふつうって言葉では先生に伝わらないんだね」
 「ふつうは」伝わると思うんだけど、これからなるべく使わないようにするよ。先生には・・・」
 本学の学生は思いやりにも満ちている。

 これが来週までもってくれればしめたモノなのだが。