敬老の日とは別に老人の日というのがあるらしい。敬老の日が9月15日から9月の第三月曜日に移った際に、9月15日を老人の日として残したものだという。今年はそれがたまたま重なっており、次に重なるのが2025年ということだ。

 ところで、ここ50年で平均寿命が15年くらい伸びているという。目出度いことではある。
 自分に当てはめてみると、昭和40年くらいに60歳であったとしたらあと6ー7年が余生だった。
 それが平成の26年ではこの先20年生きるのが平均的。女性の場合は10年だった余生が25年にもなるという。「人生70古来稀なり」は当面は死語となった。

 ここで年金の話になると、そりゃあ破たんするさ。「60年生きた人に数年間の年金をお渡ししましょ」という制度だったのが、20年も長生きされたら「それは貰い過ぎでしょう」とグチりたくなるというものだ。このグチりのメカニズムは後日の話題だな。

 しかし今回のテーマは人生エキスパンダー。分かりやすくするために、65歳の寿命が80歳になったら、人間関係はどうなるのかを考えたい。結論はすべてが1.23倍に引き伸ばされるということになる。生物学的な年齢は変わらないが、人口構成で考える社会的な年齢に変化があるということだ。

 社会的年齢などという仰々しい言葉を使うのは止めよう。
 要するに、50年前の60歳は長老だったが現代の60歳は長老どころか老人にさえ入れてもらえないということだ。と、同じようにいろいろなことが言える。
 表にすればこうなる

現  代  80歳  70歳  60歳  50歳  40歳  30歳  20歳  10歳
50年前  65歳  57歳  49歳  40歳  33歳  24歳  16歳   8歳

 くどいようだが説明を加えよう。
 現代の人口構成で50歳の人が果たしている役割を、極めて単純に考えると、かつては40歳の人が果たしていたといいうことになる。
 逆に言えばかつては16歳の中学生が果たしていた役割は、今や20歳の大学生が果たしていると考えることができる。これは私が日々感じている年齢ギャップである。

 そのように考えるのはおかしいのだろうか?
 テクノロジーのもたらした長寿化は、年齢ごとの役割を変革した。