40年ぶりの友人からの便りの話は明日にして・・・

 今夜は大学に勤めることになった顛末をお伝えしましょう。

 大学は名古屋経営短期大学という小さなところです。
 今年2014年の一月に三か月契約で採用され、四月には一年契約で採用中ということです。肩書きは特任教授。名刺には「教授」とあります。
 しかし今のところなにも教授してはいない毎日。授業はこの秋から始まります。
 週に三日の勤務という契約ですが、会議ありオープンキャンパスあり、学生集めの高校訪問や実習指導での幼稚園保育園訪問があり、自分の二つのゼミとゼミ外の学生との会話があって、週に四日か五日は出勤しています。
 でも、通勤費は月に12日。給与明細にはそうに打ち込まれています。

 ああ、そうですね。なぜこの短大に勤めるようになったのかということですね。その点が大いに誤解されているようです。
 通常の感覚の持ち主であれば、まず思い浮かぶのは「天下り」ということでしょう。
 残念ながらそうではありません。
 大学から教育委員会に推薦依頼があったのなら、自分とは別の人が指名されたに違いありません。

 大学は、小免課程の開設に必要な常勤教員について、地元の保育園の園長さんなどに人探しを指示したようです。それは想像するに「小学校教員養成課程を作るので、これからの教育の有り方を考えている未来志向の退職者を探せ!」ということだったのかな、これは私の想像です。
 実際には「タフな奴はいないのか?」とか「強引に交渉できる退職者はいないのか?」とか、「小免課程を作るために必要なたくさんの講師を集めることができる顔の広い退職者はいないか?」という相談があったようです。
 すると大学の系列の保育園の園長さんが、私を思い出してくださったのでしょう。一次の面談は保育園が舞台でした。
 そこでどんな会話があったのか、それはまたの機会に。

 ということで、奇人変人探しの網にかかった私。決して教育委員会の推薦とか割り当てとか、天下りではありません。
 は、最後に給料をお聞きですか。安いものですよ。校長時代の四分の三。これに年金をたして、マンションのローンを返しながら、妻と二人がぎりぎりの生活を送ってろいるというのが、教授の現状です