学校が大きく輝いた時期が、少なくとも2回あったのではないでしょうか。
 一度目が明治の始め。二度目が太平洋戦争後です。明治の始めにはこの国を近代的な国家にするために大いに働き、二度目には戦後の復興に力を尽くしました。
 この国の学校教育制度をスタートさせた「学制」が発布されたのは明治5年8月3日のことでした。これは西暦ではなかったのです。西暦では9月5日ということのようです。そこで、回り道を少々。
明治4年の暮れには、廃藩置県からの府県廃合を完了、学制取調掛を任命、岩倉使節団が米国サンフランシスコ着、東京裁判所設置(日本最初の裁判所)

明治5年
 1月 初の全国戸籍調査実施(総人口3311万825人)

 2月  田畑永代売買禁止令(土地永代売買の禁)廃止、東京日日新聞創刊(条野伝平ら)、 陸軍省・海軍省設置(兵部省廃止)

 3月 東京府内で郵便施行、近衛條令制定(御親兵改組)、鎮台條令制定
東京城を皇居と治定: これより京都行きは還幸ではなく行幸となる

 4月 書籍館開館(昌平坂学問所跡地、日本初の公共図書館)、いろは組(町火消)廃止 戸長・副戸長設置(庄屋・名主・年寄廃止) 僧侶の肉食・妻帯・蓄髪が許可さる

 5月 品川 - 横浜(後の桜木町)間で鉄道仮営業開始、ラムネの製造を許可、取締組を邏卒と改称、全国に郵便施行、師範学校設置(湯島聖堂内)