通知表PC化の落とし穴は、校長の押印をセット出来なかったことだった。担任にとっては楽になった麺があるが、校長にとってはこれまでどおり一枚一枚手で押印しなくてはならない。ある退職校長は「通知表と聞くたびに右手の人差指の付け根がうずく」と語っている。

一方、あの時PC化に強く反対した山ちゃんは、勤務年限が来て転勤する際に転勤先の学校の条件として「出来たら、通知表のPC化された学校にしてもらえませんか」と希望してきた。

念のために言っておこう。他府県、他地域、他校はイザ知らず、ここの校長に限っては教師を飛ばすということはしたことがない。山ちゃんの場合も在任10年にもなっていたため、異動せざるを得なかったのである。だから校長に反対したから転勤させたというわけでは決して無い。

なお彼の転勤先は通知表PC化していなかった。だから彼の気に入る学校はなかった。そこで校長は転勤先の校長に「山ちゃんは通知表PC化の指導者になれる」と紹介し、その学校でもPC化が始まった。こうして結果的に山ちゃんの望むような状況となった。

例の手書派女性教師は、表面的な言葉とは裏腹に、信念で「手書き」を主張していたわけではない。ただ「楽な方」を選んだだけのことだった。こうした人が納得出来るようにすることは難しい。

しかしある意味で彼女以上に楽を追求し手抜きの極意を極めていかないと本当のPC化にはつながらない。楽かどうか言い換えれば無駄が省かれるかどうか、彼女のような敏感な嗅覚は得難い道しるべになりうる。ただし、本来的な業務まで軽視されないようには注意しなくてはならないが。

さてPC化は実現された。実現した途端に「プレビューが見たい」「フォントを選びたい」「個々の児童の成績履歴を参考にしたい」「出欠を自動的に記入したい」などなど、要望がいっぱい出てきた。なるほどどれをとっても納得できる要望である。これらを実現していくためには優れた「校務支援ソフト」の出現を待たなくてはならない。