落とし穴を語る前に、PC化の影響を見てみよう。児童は特に何の反応も示さなかった。ほんの一部の子が「カッコいいじゃん」と言ったとか言わないとか。彼らにとっては良い成績と良い所見があれば終業式の一日が乗りきれるわけであって、通知表の形式などどうでもよいのだろう

保護者はといえば、これもほとんど無反応であった。保護者からの積極的な反応はなく、もちろん抗議や苦情もなかった。恐る恐る「PC化しましたがどう思われますか?」と聞くと「あれ前からじゃなかったですか」とか「やっと学校も世間並みですね」と言われる始末だった。

しかし保護者の反応については十分な洞察力が必要だ。必ずしも正直な感想が語られるわけではないからだ。保護者間で学校への反発が充満しているとしてもそれが学校に伝わってくるとは限らない。

それにしても保護者の期待応えるためには通知表を手で欠く状態に後戻りさせるのではなく、より充実した個別指導を行い、それを家庭連絡や所見の充実に反映させることが重要なのである。

教育委員会は、建前としては校長の選択に干渉しないし、通知表は校長を指導するべき事柄でもない。むしろPC導入に多額の予算をつぎ込んできただけに「具体的な使用例」として議会質問への回答の一つの材料を得た気持ちだったのではないか。

事実、通知表を印刷するための「印刷製本費」のかなりの部分が不要となった。それにしても年間のIT予算に比べるとほんの1%ほどでしかなかったが、成果はないよりもある方がよい。「全校へのパソコンやLANの配備によりこれまでの予算を節約することができた」と数字抜きで語れば良いのだから。

他校の校長は、賢明な人は自校の職員に「様子を見よう」と答えていた。そうでない人は「手書きのぬくもり」とか「本来、心を込めて手で書いて渡すべき」といった紋切り型の拒否回答をしていたようだ。賢明でない校長は自分の言葉に囚われて、PC化にも踏み切れず右往左往している。