担任にとっても教務主任にとっても、点検は時間くうだけでなく、気分的にもいやなものだった。誤字脱字、文章表現の見落としの点検は保護者や児童の手前、必ずしなくてはならないが、教師として間違いがあるということ自体が自分にとっても点検者にとってもショックである。

閑話休題、若い頃校長にからかわれた。「羊は耳が出ていて足が四本。お前の羊は耳がないのか二足歩行か?」。謎掛けのようだが、僕は「達」という字のつくりの羊の横線を二本しか引かない癖があったのだ。

ところが教務主任と教頭が羊の一画を見落とした。誤字を書いた自分だけではなく、それを見落とした二人も校長のからかいの的となった。と思い出しながら「あれは新任の年ではなかった」ことに気がついた。僕は数年にわたって二足歩行の羊を書き続けていたのだった。

さて山ちゃんは、例の手書派女性に「誤字でごちゃごちゃ言われないし、パソコンで打ってしまえば手で書かなくて良いのだ」と話したしたようだ。彼女は、幾分かでも楽になれば良いという人なので、迷うことなく飛びついてきた。

朝の打ち合わせで「通知表作成についての説明が、きちんとなされていないことは問題である」と発言した。しかし「校長が強く望むならPC化しても良い」と言った。校長は「無理に勧める気はないが、先生の決断には経緯を表する」と答えた。プライドの高い人たちは、なにかと手続きがお好きなようである。

こうして通知表のPC化は全員が取り組むことになった。研究期間をおくこともなく研修を組むこともなく、あっけないほど簡単に実現してしまったのである。ある意味で山ちゃんがいろいろと言ってくれたことが効果的だったのかも知れない。

見た目には手描きからプリントアウトに変わっただけだ。それにより、誤字脱字がなくなったとか、辞書と首っ引きで点検しなくても良くなったという効果があった。しかしそれ以上に意外な効果があったのだ。印刷費の節約か? それもある。しかしそんなことだけではない。