国道363号線

 この国道は、1975年に制定された若い国道です。総距離数は80.2辧

 名古屋市の引山交差点が起点で、途中尾張旭市、瀬戸市、土岐市、瑞浪市、恵那市を通って、中津川市の中村交差点が終点となっています。
 ほぼ全線にわたって、往復2車線以上の快走路が続きますが、土岐市鶴里町柿野付近には往復1.5車線、中津川市川上集落付近には往復1車線の、未整備区間があります。
 名古屋市内では出来町通、名古屋から瀬戸までの区間は瀬港線と呼ばれています。

 この道について荻須勝博さんは、次のように書いておられます。
 【私たちの住んでいる尾張旭市内には国道363号線が通っています。それは「南新町」の交差点からゴミ処理場のある晴丘センターの近くまで約1900メートルで2キロメートルもないほどです。
 ・・・
 国道363号線は、かつては瀬港線といわれ、瀬戸と名古屋港を結ぶ産業道路として発展してきました。
 瀬戸から陶磁器の製品を海外への貿易品として名古屋港から多く輸出されていました。帰り便には陶磁器の原料や燃料などのお運搬にはなくてはならない道路であったといいます。
 だんだんと焼き物だけではなく、食品や日用品関係も多く運ばれているということです。】

また榊原剛さんは、
【江戸時代には「山口道」と呼ばれ、瀬戸の山口へ通じていました。
 明治の終わりには演習場に組み込まれ、民間人の通行は制限されました。
 昭和十年代の後半にはグライダーの離着陸訓練用の滑走路として使われるようになり、大きなぐり石で押し固められました。
 後に開梱が進む中で、このぐり石を取り除くのは大変な仕事だったようです。
 昭和30年代には、瀬戸と名古屋港を結ぶ幹線ということから「瀬港線」と呼ばれるようになりました。
 その後昭和40年に県道守山瀬戸線となり、昭和50年には国道363号線の指定を受けました。
 まさにこの道は本地ケ原の歴史の縮図と言えます。】と書いておられます。

 山口道、滑走路、県道、国道と変遷してきたこの道は、昭和51年から52年にかけて舗装されたようです。
 思うに、他の道の多くが名犬国道、名岐道路、名阪道路、名神高速というように「名古屋の名」を先においているのに対して、この道は「瀬港線」と瀬戸を頭においています。
 これは単に言葉の響きなのか、あるいは瀬戸からの製品の流れに沿ったものなのか、どちらなのでしょう?
 いずれにしても、戦後の復興期に瀬戸からの陶磁器の輸出が我が国の外貨獲得に大きく貢献したことは事実であり、その誇らしさが道路の名前に現れていると思えてなりません。
 だから名古屋では出来町通と呼んで、瀬港線という名前に対抗しているのでしょうか?