一揆と言うと、江戸時代のことかと思われがちだが、明治の初期(1870年代)に、実は多くの一揆がおきている。

○ 血税一揆
 徴兵告諭にあった「血税」という言葉を「本当に血を税として差し出す」という意味に勘違いした者や、単純に徴兵制に反対した人たちによっておこされた一揆

○ 学制反対一揆
 名前のとおりフランスをモデルに作られた「学制」に反対する人々が起こした一揆。当時、農家の子供というのは重要な働き手であり、また学校で勉強をするための学費などは自己負担だったため、農家は学制に反対したのだ。

 明治時代初期、学校設立を定めた学制に反対しておこった一揆。学制が強制的に実施され、学校の建設費や授業料が国民負担であったことなどから、各地で学校を焼き打ちするなど民衆の抵抗を受けた。1879年に教育令にあらためられた。

○ 地租改正反対一揆
 これも名の通り地租改正に反対する一揆。江戸時代の税制(年貢制)を改め、新しい税制を定めた地租改正であったが、金納(米でなく金で税を納める)であったり税率が地価(土地の値段)を基準に定められていたりしたため、結局として農民の負担は重かったのである。