最近思うことは、子どもたちの夢を大人が一生懸命潰しているということだ。

 今日も保護者と懇談。
 一時間の予定が大抵は二倍の二時間になる。

 始めに保護者の主張を聞く。
 決まって出てくるのが「私が子どもを守らなくては、誰も守る人が居ない」という言葉。
 守ってくれない「誰も」の中にはお父さんや教師や、祖父母などが含まれる。もちろん子どもの同級生の母親などもそこに入っている。

 あたかもターミネーターの世界のようだ。
 敵だらけの荒れ果てた荒野に、母親と子どもがどこから攻めてくるかもしれない敵に向かって、スキなく身構えている雰囲気。
 母親は、子どもが他者を打倒して征服者になることを願っているが、その指導方法たるや、叱り飛ばすか罵るか、その能力を見下すか、他の子と比べて嘆き悲しむかでしかない。まるで子どもこそが主敵であるかのように見える。
 また時には、私はこれだけ言ったのだからあとはあなたの責任よと自己保身に走ったり、そんなことではもう面倒を見られないよと突きはなしたりする。
 実際に家から追い出したり、虐待に近い罰や苦役を強いたりするケースも少なくない。
 だから、守られているはずの子どもは、幻の外敵におびえる一方、それ以上に現実の母親を恐れているのだ。

 最も害が大きいのは、未来を潰すことにある。
 「何になりたいの?」、「夢は大きく持ちなさい」と月次なことを言いながら、実際に子どもが夢を語るとどういうのだろう?

 「野球の選手? そんな夢みたいなことばかりいうんじゃないよ」
 「お医者さん? 勉強もしないでなれるはずがないでしょう」
 「スケートの選手? そんなお金がどこにあると思っているの」
 「お嫁さん? あなたが思っているほど楽じゃないのよ」
 「学校の先生? ・・・・・・・・・・・・・・・」