校長会で教育長から細井平洲の言葉の紹介があった。

 細井平洲は、江戸時代中期に活躍した儒学者で、上杉鷹山の師である。

 紹介があった言葉は、「教育とは、菊好きな人間が菊をつくるようにしてはならない。百姓が大根をつくるようにすべきなのだ」というものである。

 何故、菊をつくるようにしてはならないのか。
 菊をつくる人には、自分の理想の菊があって、それに合わないもの、欠点が目につくものを摘み取ってしまうからである。二つか三つのつぼみを残して摘み取り、そのうちのたった一つで大輪の花を咲かせる。

 かたや、農民が野菜をつくる時はどうか。欠点のあるものを捨てるということはない。畝に芽を出したものも、日陰で懸命に育っていくものも、大切に慈しんで育てる。



 原文を紹介する。
 「平生躬行正しと申す内にも生まれつき窮屈片気なる人は人の師には致し難し。人の子を教育するは菊好きの菊を作る様にはすまじく、百姓の菜大根をつくる様にすべきこと。百姓の菜大根を作るには一本一株も大切にし、上出来も、へぼも、よきも、わるきも、食用にたてること。知愚、才不才、それぞれ畢竟よき人にさえできれば宜し」



 菊好きと百姓の話も良いが、「窮屈片気なる人は人の師には致し難し」というくだりも味があって良い。