体の小さい子がいじめっ子の攻撃にたまりかねてコショウ爆弾をぶつける。こんな経験があったら本物の爆弾に行き着いたでしょうか?
 やられて、やり返して、先生に大目玉をくらって、その後を忘れる事が出来たということが大切なのですね。先生への反発が残ったと言うことは、言い換えれば子ども同士の憎しみあいに先生が割り込んで、先生自身が憎まれることを引き受けることで子どもの気持ちを転換させたということではないでしょうか。
 先生が自信と権威を持たないと、できないことです。

 体の小さい子がたまりかねてコショウ爆弾をぶつける。こんな経験があったら本物の爆弾に行き着いたでしょうか?

 最近は、子どもに大人を要求してしまう。摩擦なしで社会性は生まれません。摩擦は、けんかでありいじめであるのです。ある程度の摩擦は傍観して、がまんすることが大人に必要なことではないかと思います。
 子どものけんかには、親は出ないというのが私たちの文化だったはずです。
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