明治5年の学制で公教育が始まったと考えるのは、明治政府の宣伝効果にすぎないと思っています。
 それ以前の藩校での武家の教育、寺子屋での農民商人教育、商家での家内丁稚教育、手工業の徒弟制度を整理し追認したのが明治の学制だったのではないでしょうか?
 そこで最初の矛盾が生じている。それは教育の目的に関してです。
 武士として、あるいは農工商としていかに生きるかがテーマだったのに、いつの間にか日本人としていかに死ぬかに変わってしまった。
 このあたりをきちんと整理しないと教育学史は成り立たないでしょう。

人気blogランキングへ