はいはいが出来るのと軌を一にして人見知りが始まった。という現象を前にして考える。
 人見知りは人見知りか?

 人を認識して母親と違うと感じると言う段階ではないのではないか? 

 案外、はいはいという身体運動と関連しているのではないか。
 要するに、上向きに寝かされていたり抱かれていたりした数ヶ月が過ぎて、はいはいが出来るようになったということは、自己の体が移動可能なモノとして認識すりょうになったということではないか。

 言い換えると、自分の体がある程度自由に動かせるようになったために、これまで境界があいまいだった母親との距離を感じるようになったのだろう。物理的な出産から心理的な出産を今経験していると言えるかも知れない。
 これまで、物理的身体的には分離しながら心理的に分離していなかったものが、自分の身体を認識し始めたがために、否が応でも母親とは別の自分を感じることとなり、その分離感覚に抵抗して後追いをしているのだ。

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