未来ユメ日記 by GG

夢、ゆめ、ユメ。未来に向けてユメを語ろう。教育・テクノロジー・地球の未来・歴史・ドラゴンズ・・定年退職を迎えた2012・4・1から、未来に向けてユメを紡ぐ

 爆発といったって気の弱い僕の事。怒鳴り散らしたのではない。
 「仕事ができない」「困っている」ということだけではなく、「他の課に迷惑がかかるが、それは自分の責任ではない」とか、「本部から割り当てられた役割が果たせなくても仕方がない」などと、やんわりとつぶやいたのだ。
 別に脅したわけではない。本当の事を言っただけだ。

 課長など男性諸君は沈黙している。女性陣も同じく沈黙。
 そのうちに、誰かが「いくらそんな事情があっても、権限外の事はできません」という。
 「分かりました。結構です。ま、事情はお話ししておきましたから・・・」と僕は、静かに引き下がろうとした。

 全体よりも自分の権限を守り、他の権限に踏み込んだり、踏み込まなくても調整をしようとしない姿勢は、官僚主義そのものだ。この官僚主義をなんとかしなくては我が大学に未来はない・・・とまで僕は考えたのだった。

 あとはトップと話すしかないな。
 学長か理事長に経過を話して、ここが官僚主義に凝り固まっているのか、そうでない傾向がありはしないか、それを見極めてやろうという気持ちだった。

 その時、古参の女性課員が声を発した。
 「買ってきてください。そうすれば研究室のパソコンにしますので、校内LAN接続もすぐできます」
 「僕が買ってきても良いのですか?」
 「ええ、ご足労ですが、お願いできますか」
 「もちろん、すぐにでも行ってきます」
 「ただし、納品書と請求書、それに領収書が必要です。お金は後日の払いになりますが良いですか?」
 「もちろん、異論はありません」

 僕は無言の他の職員に「皆さんもそれでいいですか?」と確かめた。黙って、うなづくばかり。
 ということで、自分で立て替え払いをすることになったのだが、現在はここまでのこと。

 その後の事は、後日の報告としよう。
 機械と書類はそろった。明日あたり手続きに向かう。

 そうと決めたら行動は速い。

 これまでの経過は、学内ではWin7をインストールできないほどのPC(それが第3号)と、調子が悪いので退役したPC(第2号機、3号機、4号機)が予備機となっているのだった。
 要するにまともなPCはないということだし、予算不足で新規の購入はしたくないという姿勢が見え見えの状態なのであった。

 PCが壊れました。
 じゃあ購入申請してください。
 手続きを教えて。
 PCから大学のドライブにアクセスして・・・
 おお、まさにカフカ的状況。アンビバレンツの罠。

 僕はこれ以上大学が何とかしようとしてくれないなら、自力更生の道を選ぶことにした。
 自分で買ってしまえば良いのだ。

 そうと決めたら、素早く行動しなくてはならい。
 で、近くのパソコン屋さんで中古のノートを買ってきた。なんということだ。値段は四万円弱ではないか。
 そりゃあ最新機種はもっとするさ。しかし、この春のサービス終了で無理やりXPから抜け出した大学としては、WIN8には未対応なのだ。

 WIN7のプロフェッショナルが稼働する程度の機種ならば中古がふさわしい。オフィス、メール、インターネットと写真整理が主目的なら中古で結構。なにせ「8には未対応」なのだから。

 一時間で目的を果たした僕は、購入したばかりのノートを持って情報センターに行き、LAN接続を依頼したのだった。意気ようようだったね

 すると出ました。また書類だ。
 「こちらの用紙に必要事項を記入して、待っていてください」
 「何分くらいで済みますか?」と質問する僕に、係りの人が胸を張って答えようとする。
 彼の発言を遮って質問を訂正。
 「何分じゃ無理なのかな?今日中でも良いんだけど」
 「そうではありません」。彼の声には張りがある。こいつはサディストか?
 「そうではなくて、申し出を次の委員会にかけて、そこで承認されたら接続処理をするのです」
 「・・・・・」
 そういえばそうだった。iPadを接続するまでに、45日も待たされたことを思い出した。
 聞けばナントカ委員会が次に開かれる日程は決まっていないとのこと。
 インターネットの速さには及ばないが、僕がニューマシンを調達してきた一時間に比べると、大学の時間は実にまったりとしているようだ。

 もう我慢の限界だ。
 というより、この八方ふさがりを抜け出さないことには全ての業務が進まないという情況が続くのだ。
 新学期が始まろうとしているのに、どうしろというのだ。

 僕は総務課に行って、僕は爆発した。

 すると・・・

 もういい。もう予備機には頼らない。研究費からであろうと私費からであろうと、まともなPCを買ってやるぞとという決意をしたものの、それをくじいたのがノートPCの存在だった。教務課にはそれがあるというのだ。

 教務課に走る。事情を説明すると気持ちよくノートPCを出してくれる。
 貸し出しノートに要件を記入していると「来週から非常勤講師が授業で使いますので、貸し出しは今週いっぱいにしてください」とのこと。
 「明日までですか?」
 「そうですね、今日が木曜日で明日が金曜日ですから」
 第5号機はまともに動いたものの、僕にとっては2日間の命だった。

 ノートPCを肩にかけながら総務課に向かう。
 「ありがとうございました。ノートを借りました」というと、関係者がみな明るい顔をしてくれる。問題解決で、もう僕の苦情から解放されると思ったのだろう。
 その思いを僕は淡々と冷酷に打ち破る。
 「でも明日には返さなくてはならないので、それからの僕はどうしたら良いのでしょう? 問題は全然解決していませんよ。メールは見えないし、ファイルは受け取れないし、高校へ行くための手順や資料も取り出せない」
 「予算はないし、買うとなったら個人研究費から買うことになりますからね」
 ここで僕の気持ちは固まったので、それを伝えたね。
 「個人研究費だろうが私費だろうが、とにかくPCがなくては仕事にならないので、購入します」
 「じゃあ、見積もりと請求書を提出してください」
 「書式はどうしたら良いのですか?」
 「ドライブにありますので、そちらに記入してください」
 「ですから、ドライブにアクセスできないのですから、と言っているのですが」
 「そうですね。申請書だけでも良いですよ」
 「申請書はどこ?」
 「Lドライブに」・・・・申請書などというまどろっこしいことは迂回して、個人でPCを買うことにした

 翌朝、朗報が入った。情報センターからだ。
 「使えるPCがもう一台、総務課にあります」とのこと。
 第4号機の登場だ。
 ここまでくると冗談では済まされなくなってくる。気が長いと評判?の僕の表情は、いくらか固くなっていたのかもしれない。
 総務課に入ると同時に関係課長が注目してくれて、慰めるような、戦列復帰を願うような声をかけてくれた。そしてすぐに話題の第4号機が運ばれて来た。

 ところで僕は、以前にiPadの接続許可を貰っておいて良かったなと、自分の先見の明に感心する。
 それは学内Wifiへの接続許可という価値のないものでしかなく、学内LANへの接続は不可能なものだった。とはいえ、OWAへのアクセスができればメールの送受信は可能なのだ。

 メールによって「・・・○○となりました・・・」とか「・・・添付ファイルをご覧ください・・・」という情報は把握できる。
 しかし、「・・・×ドライブをご覧ください・・・」、「・・・ドライブにアップしておきました・・・」と言われても、アクセスできないのだから仕方がない。

 さらに、「・・・YドライブのZファイルに記入してください。締切〇日厳守・・・」などというメールにはお手上げだ。手が出なければ足を使うしかない。発信元の先生の所をリアルに駆け回って、返事をリアルに報告し、打ち込みをお願いする。
 「先生からのメールの件ですが、私からの報告は・・・」と言いかけると、「わざわざ済みません。でも、メールで送っていただければコピペしますので・・・」とか「先生、エクセルに書きこんでいただければ良かったのですが・・・」と言われる。
 要するに、メールでの返事なり、フィルへの書き込みが求められているのであって、リアルな返信はかえって迷惑なのだ。
 そこで第3号機までの顛末を話す。
 相手にとっては「PCが使えない」というだけの話で、要するに言い訳としか聞こえないだろう。それでも、幾ばくかの同情を引き出すことができれば、ファイルに記入する手数をいくらかでも分担してやろうという気持ちになってもらえるかもしれないというものだ。

 で、4号機。
 これも、ご期待通り、立ち上がることもなくベンチに引き返してしまったのだった。情報センターと総務課とは、連携がとれているのだろうか?

 「他に予備機はありますか?」と尋ねる。第5号機、第6号機はあるかと問いかけたのだ。
 「ありません」という明快な答え。

 4号機は思い出深い仲間となった。
 4号機を運んだ時、両腕で抱いていたようだ。
 彼の不調が決定的になったころ、両腕に斜めのスジが痒みとともに生じ、数分でスジの幅が2センチほどに広がった。
 痒い。
 二の腕の中側。肘の上から小指の付け根にかけて赤い筋が浮かび上がり、しかも猛烈に痒くなった。第4号機の隙間とピッタリ符合する。隙間にダニが生息していて、それが僕の腕に飛び移っていたずらを始めたに違いない。PC第4号機は、PCとしての役目を終え、ダニの巣になっていたのだった。

 こうなったら、個人で買おう。それが僕の決心だった。

 総務課で出してくれた第2号機君は、結局使い物にならなかった。

 なにをどうしたかは思い切って省いてしまおう。
 彼の経歴を語るだけで十分だからだ。
 実は彼は退役者だったのだ。

 第1号機の顛末を同僚に語ると、Hさんがまるで同じストーリーを語り始めた。
 転勤でこの職場に来た時に彼の研究室にあったPCのスイッチを入れると、立ち上がりに恐ろしく長い時間を必要としたとのこと。そして、何かをするたびに数分から数十分、場合によっては数時間もかかるので、彼はその機械を総務課に持参し、予備機に代えてもらったとのこと。
 以来順調に仕事をしているという物語だった。
 彼は「やっぱりお仕着せの機械は始めにきちんと点検してから使い始めないと恐ろしくて仕方がない」という教訓を与えてくれた。

 教訓はよい。それは僕自身が身に染みて分かった事なのだから。
 僕には有りがたい教訓よりも、生臭い事実に興味をもった。

 「で、そのPCは以前に誰が使っていたのですか?」
 答えを待つ者は真実が明かされるのを前にして、心が波打つものだ。しかも答えを予感する者は、予感が外れることを期待しながら、予感が当たってしまうのではないかと恐れている。

 「たしか僕の研究室を前に使っていたのは、W先生とかいう方だったようですよ。PCの管理票にもそう書いてありました」
 ビンゴ!
 今の自分の研究室にあるPCの管理票にはW研究室とは記入されていない。
 K研究室と書いてある。
 しかしビンゴなのだ。
 何故なら、「W研究室」と書かれた紙をはがして「K研究室」と書いた紙を貼ったのが他ならぬ僕だったのだ。

 こうして第2号機を返しに行くと、これなら提案されたのが第3号機だったというわけだ

 第三号機は登板したものの一球も投げないまま降板することになった。
 そう連絡すると、「何とかなりませんかね」という。
 そりゃ無理だろう。
 いくらお人よしで忍耐力満点の僕でも、マイクロソフトがダメというものはダメなのだ。
 で、パキラの台にすることは前回までの話。

 そこに情報センターから連絡があった。
 向こうは怒っている様子。あるいは誇っている様子が伝わってくる。
 そこでセンターに駆け付けた。

 僕が死亡宣告をしたPCが復活した、あるいはもともと死んでいないというのだ。
 神殿の神秘の高みから僕を見下ろして、「やってみたら全く正常です」という。
 持って帰るというと「今、アップデートが始まりましたので、それが終わったら連絡します」ののこと。
 どれくらい時間がかかりますかと尋ねると、なんと三十分ほどだという。
 「申し訳なかったね、なにせ知識も技術もないもので」と謝ると、
 「そんなこと気にしないで下さい。よくあることですから」と言われた。
 「完了したら総務課の運びますから、受け取ってください」と言われたので研究室で待機。

 午後一番からの30分くらいがもう夕暮れ。こちらは待てるが、いつも早々に帰宅しているように見える情報センター所長はどうなのだろう。

 業を煮やして電話すると、向こうの声に全く元気がない。
 アップデートの途中で診断プログラムが始まり、そのうちにアップデートに移り、また診断プログラムに戻ってしまうとのこと。
 それは当方で確認済だ。

 彼はダメです。ダメです。使えませんと宣言。
 診断と宣言の好きな人らしい

 第一号は頓死。
 第二号は札付きのスロー人。

 そして第三号は、なんのことはない、総務課長の横で静かに待機していた。

 大きい。そして頼もしそう。

 これまでのD社製と違って新顔のF社製だ。
 大きくて重いので学生に手伝ってもらって部屋に運んだ。
 立ち上げると懐かしいことに禁断のXPが今日はとくる。それも良いがXPに入れないとアップグレードができないようだ。ところが総務課長のパスワードがない。で、電話をかけて丁重にお願いして部屋に来てもらって新世界が始まった。

 順調に立ち上がったXPからWIN7への移行が可能かどうかの診断が行われる。
 あっという間に済んでしまった。
 診断結果はNO。メモリーが足りないので、インストールはできないというのだ。

 そういえば課長は新しいPCを使っていた。その机の横に第三号があったということは、使えないということではないか。WIN7に切り替えた時に、さすがにこの機種ではWIN7を入れられないからお払い箱にしたのではないか。
 それを押し付けられても駄目なものはダメ。

 こうして第三号はわが研究室のパキラを置く台として二度目のお勤めを果たすことになった。

 そこに朗報である。第二号の修復ができたという知らせが情報センターから入ったのだ。
 あの冷たくもあるが正確な預言者である情報センターは、二号機の修復を果たしたというのだ。

 ラッキー!! かな?

 職場のPCが壊れて困っていると報告したが、やっと光明が見えてきたのでここまでの経過を報告しておこう。

第1号の件
 ある日の事、会議が始まるというのでPCをつけたままにしておいて。会議が終わって部屋に戻ると・・・
 終わっていた。
 画面に何も映っていない。メインの電源ボタンは正常時の青から黄色に変わっていた。マウスを動かしても、キーボードを叩いてもウンともスンとも言わない。しかたないので電源ボタンで強制終了。
 再起動をかけるとセーフティーで立ち上がった。
 まずはファイルを外付けのハードディスクにコピーして、これはうまくいった・・・はず。
 この機種についていろいろと調べてみると、内臓のボタン電池が消耗しているのではないかと教えられた。で、近くのドラッグストアまで大汗をかきながら買い物に出かけて電池の交換を行った。思えば夏の盛りの事であった。
 するとどうだ。順調に立ち上がるではないか。
 立ち上がりはしたものの延々となにかの作業をしている様子。その作業が数時間に及び、夜を超え、また夜を超え、気がつけばディスプレイにシグナルが送られていないとの表示になってしまった。
 強制終了して、静電気を除去したり、デバイスを外したりして電源を入れ直したが、状態は変わらないので情報センターにSOSの電話を入れる。

 これがその時のやりとりだ
 「何も映っていませんか?」・・・「今は写っていません」
 「じゃあディスプレイの故障です」・・・「電源を入れた時の最初のロゴは出ます」
 「じゃあ本体ですね。ハードディスクかメモリーか、まあ時にはボードかな」・・・(そりゃそうだ)
 「どうすれば良いでしょう?」
 「修理依頼の電話をするか、新しいのを買うか。お好きなようにしてください」
 ・・・「どうやったら買ってもらえるんですか?」
 「それはここの管轄ではないので、総務課か経理課で聞いてください」

 僕は怒っている。見もしないでの死亡宣告。なんて冷たいンダ。PC第一号が哀れを誘う。
 しかし、今にして思えばその判断は正しかったのかもしれない。
 あの時にすっぱりとあきらめて、新しい機種を購入すればよかったのだ。

 仕方がないので総務課に電話すると、直接の担当者はいなかった。が、予備のPCがあるというので、さっそくそれを貰いに行く。

 ここから第2号との短いつきあいが始まった

 三題話ではある。

 職場のPCがダメになったのでOSの白紙インストールをかけたところ、やたらと時間がかかって終わりそうにもない。というのが金曜日の夕方の事だった。いくら遅くても二日もあればなんとかなろうと期待して出勤したのが今日の月曜日。
 結果はゼロ。というかマイナスで、数行のエラーメッセージが出ているだけだった。
 さあ大変だ。メールが読めない。返信も出来ない。調査ファイルへの記入ができないし、報告書を書くことも出来なければ学生のプロフィールを読むことも出来ない。だるまさん状態である。全くインプットとアウトプットができない状況に陥っていることが分かった。
 僕は実体としてここに居ながら、出勤記録や報告書といった僕の存在証明となるモノが発信できないので、音も光も振動も発してはおらず、不在も同然の状態となった。わずかに、不調のPCを電源から切り離して抱きかかえ、大学の中をオロオロしているばかりであった。
 PCがなくては存在が証明できない世の中になってしまっていることを痛感。
 野坂がノサカかノザカかで語りまくった「オレはノザカだ」の時代が懐かしい。少なくとも彼は「野坂」という印鑑・・実態・・を持ってオレを顕現し、その読みについて御託を並べることができたのだから。
 野坂さんに、パスワード、メールアドレス、ナントカキー、カントカキーが必要なのだが、PCがなくてはそれも使うことができない世の中になってしまったのだぜと報告しなくてはならないようだ。彼は何というだろう「おいおい、生きているのは君なのか?それともPCか?」
 問われて思い出すのが「胡蝶の夢」

 【夢の中で胡蝶(蝶のこと)としてひらひらと飛んでいた所、目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか、という説話】

 ここまで来て想起したのが「帰去来の辞」。荘子から陶淵明に思考が飛んだプロセスは全く分からない。
 分からなくても良いじゃないか。
 昨日までの僕は、思考の飛躍のプロセスを説明しようとして苦しんでいたが、それは宿題にしておこう。そうすることに決めたとたんに頭が楽になる。なにもかもを説明しようとするのは良くないことかもしれない

 さて帰去来の辞。
 旭丘高校の旭丘新聞のコラムは「帰去来」であった。自分も何度か書いているはずだがPDFを見ても良く分からない。
 しかし進学校の新聞のコラムの題字が帰去来とは。「身を立て名を上げやよはげめよ」というポテンシャルの中で「帰りなんいざ田園まさにあれなんとす」なのだからね。
 競争社会へのある種の反発なのか、リタイヤ後への約束なのか、それとも皮肉な洒落なのか。

 命名した先輩に聞いてみたい気がする。

 すみません。とにかく調子が悪いのです。
 PCの調子が悪いとこちらも本調子にはなりません。
 これって、機械との一体化の証しなのかな?

 一体化と中毒と、違いを考えています。

 とにかくPCの調子が悪いので、使用者の調子も今一つなのです

 「自己客観視評価法」あるいは、複数が参加する「相互客観視評価法」について考えている。

 ところが、職場のPCの調子が全くどうしようもないほどNGなのだ。
 DELL君の調子が悪いため代替機として古いiBookを使っているのだが、遅いうえ画面が小さくて誠に能率が悪い。個人研究費から新しいPCを購入しようか、それとももう少し手を入れてみようかと悩んでいる。
 とにかくPCがなくては、メールも開けず、スケジュールや大学本部、他の先生からのお知らせもしりようがない。
 困ったものだ。

 メールで報告が来た。
 このメールはLineである。若者たちはLineが大好きだ。スマートフォンで手軽に利用できるのだから当然といえば当然だろう。PCのメールより手軽だし、グループ化も可能な上、音声通話もできるのだ。しかも無料で。

 第一回のゼミに際して、張り切ってゼミの意義など話そうかと思っていたら、目の前でスマホを使い始めた学生がいた。「なんて失礼な奴だ」と思い注意しようとすると、彼は「ゼミの連絡網を作っているのだから、誤解しないでください」といった。
 「先生はLINEを登録していますか?」。「していません」。「じゃあしてください」といわれて格闘していると、若者たちはすでにグループを作り終え、当方の登録を待っていてくれた。
 「登録完了!」というのとほぼ同時にゼミのグループが完成したとのこと。
 「先生、グループに送信してください」と促されて、私がゼミ担当ですと打つと、「お願いします」とか「了解」とかといった返信があっという間に送られてきた。
 「了解は目上の者に対して失礼である」と”指導”するのが精いっぱい。
 後で考えると指導を受けたのは彼らではなく自分であって、連絡網を作るという課題について、秒速の速さで解決したのが彼らであった。

 自分が連絡網を作るとしたらと考えてみる。
 やはり紙ベースになるのだろうなと思う。氏名と携帯番号、メールアドレスを書いてもらってエクセルで表に起こすくらいの事だろう。それをプリントアウトして、次の週に配ることができれば早い方である。
 それに比べて若者の早いこと。
 問題解決能力はツールの機能を知って、しかもそれを使いこなす力だと思わされた。エクセルで連絡網を作ること自体が陳腐化しているといえるだろう。

 しかし彼らが持っていなくて、しかし必要なスキルは返事を打つという作業である。
 Lineの場合、既読というサインと数字が出るので何人が読んだのかということはリアルタイムに分かるようになっている。
 早いよ。
 現場実習中に激励のメッセージを送ったが、ほぼリアルタイムで既読マークがつく。あっという間に8人全員が読んでいる。しかし返事はほとんど来ない。二週間と二週間の計四週間の二十日、毎日送信したが既読サインはすぐに来たものの、返事は一通だけだった。

 それが今回、「レポートを出してきました」という報告が来たのだ。
 やっと人間らしい会話が成立しそうだ。と、思える。

 「報告を送ったら、先生が喜んでいたと、日記に書こう。先生に褒められたと書いておきなさい」
 これって、 「自己客観視評価法」の実践第一号とはいえないか?

 ツイッターでつぶやいているうちに、こんなことを考えた。自己客観視評価法。
 複数参加の方法を開発すれば、相互客観視評価法に発展する。

 さて私のつぶやきは次のようなものである。


 つぶやきの1   自分に自信が持てない学生の話を聞いたら、褒められたことがない、認められたことがないと思っていることが分かった。日常生活を処理する能力は抜群で、幼稚園保育園での実習も平均以上に出来るのだが、それが自信に結びつかない。さしあたり日報というか日記を書いてもらって、自分を褒めるようにする

 つぶやきの2  自分を客観視するような記録をとり、それを他人の行動と見て評価することにより、自分自身を褒めるという作業を続けたら、自信が持てるようになるのではないかと思うのだが、諸君はどう思う?

 つぶやきの3  自己客観視評価法とでも名付けようか。メールやラインを利用してやり取りの中で自己肯定と他者理解の両方の力をつけることができるじゃないか。これについてはもう少し工夫してブログでも書くことにしよう。


一番シンプルな流れは次のようなものだ
 ステップ1 日記を書く
 ステップ2 自分で評価しよう、例えばシールを張る
 ステップ3 評価されたことを書こう

そこに支援者が入ると
 ステップ1 日記を書く
 ステップ2 支援者に送る。支援者は日記の内容を制御し、評価を与える
 ステップ3 支援者の評価を参考に自分で評価する。例えばシールを張る
 ステップ4 そのことを支援者に伝える。支援者が解説し、励ます
 ステップ5 自己評価を記録し感想を書く

さらにグループ化も出来そうだ。

早速やってみようと思うが、賛同していただいたあなた。一緒に研究してみませんか?

 敬老の日とは別に老人の日というのがあるらしい。敬老の日が9月15日から9月の第三月曜日に移った際に、9月15日を老人の日として残したものだという。今年はそれがたまたま重なっており、次に重なるのが2025年ということだ。

 ところで、ここ50年で平均寿命が15年くらい伸びているという。目出度いことではある。
 自分に当てはめてみると、昭和40年くらいに60歳であったとしたらあと6ー7年が余生だった。
 それが平成の26年ではこの先20年生きるのが平均的。女性の場合は10年だった余生が25年にもなるという。「人生70古来稀なり」は当面は死語となった。

 ここで年金の話になると、そりゃあ破たんするさ。「60年生きた人に数年間の年金をお渡ししましょ」という制度だったのが、20年も長生きされたら「それは貰い過ぎでしょう」とグチりたくなるというものだ。このグチりのメカニズムは後日の話題だな。

 しかし今回のテーマは人生エキスパンダー。分かりやすくするために、65歳の寿命が80歳になったら、人間関係はどうなるのかを考えたい。結論はすべてが1.23倍に引き伸ばされるということになる。生物学的な年齢は変わらないが、人口構成で考える社会的な年齢に変化があるということだ。

 社会的年齢などという仰々しい言葉を使うのは止めよう。
 要するに、50年前の60歳は長老だったが現代の60歳は長老どころか老人にさえ入れてもらえないということだ。と、同じようにいろいろなことが言える。
 表にすればこうなる

現  代  80歳  70歳  60歳  50歳  40歳  30歳  20歳  10歳
50年前  65歳  57歳  49歳  40歳  33歳  24歳  16歳   8歳

 くどいようだが説明を加えよう。
 現代の人口構成で50歳の人が果たしている役割を、極めて単純に考えると、かつては40歳の人が果たしていたといいうことになる。
 逆に言えばかつては16歳の中学生が果たしていた役割は、今や20歳の大学生が果たしていると考えることができる。これは私が日々感じている年齢ギャップである。

 そのように考えるのはおかしいのだろうか?
 テクノロジーのもたらした長寿化は、年齢ごとの役割を変革した。

 物事は不思議なもので、関連するいろんなことどもが次々と勃発するものだ。

 例えば電気製品の買い替え。エアコンを一台買い替えたら、掃除機が止まり、玄関の電球が切れて買い替えたら炊飯器がダウン。するとシェーバーを落として買い替える羽目になり、それが一段落したら冷蔵庫がダウン。
 冷蔵庫はアイスクリームや冷凍食品を詰め込んだ時に起きるのが通例だといわれている。と、書き始めたら職場のPCがダウンしたので、自宅のノートPCがダウン組の仲間には加入しないことを祈りながら書いている。
 だからいかにも精彩のない文にしかならないだろう。それもこれも、電気製品の寿命を司る何ものかの仕業とに怯えているところなので、お許し願いたい。

 ある日突然の電話があった。と書きたくはない。何故なら電話は突然かかってくるものなのだから。
 この頃こうした重複した表現が多い。そしてくどい。「生まれて以来一度も感じたことのないような素晴らしい感動が突然こみあげてきたので、それを皆にも分けてあげることが私の使命です」なんてのは全くの有難迷惑でしかない。「感動しました」の一言、それでいいじゃないか。

 改めて書きはじめよう。ある日電話があった。「おーい、俺だ。分かるか?」。
 分かった。指折り数えても指が足らない。カミさんの手足の指を総動員してもまだ足らない。
 で、会うことになった。声は分かったが姿かたちは想像がつかない。何しろ四十年ぶりなのだから。「顔は黒いぞ。頭はクリクリだぞ」との情報で、どちらが先に声をかけるのかが勝負だと思った。そして、勝った。
 僕が先に見つけて声をかけ、ビンゴ。カフェで久闊を埋めることができた。
 そして、今後も一緒に飲んだり、他の友人に会ったり、情報を伝え合うことを約束した。

 そんな感傷に浸っている暇もなく大学のメールボックスには東京からの封書が届き、四十年以上前の集会での音声記録が送られてきた。
 70時間に及ぶ音声記録があることは分かっていた。それはKさんが所持していたのではないかというのが僕の記憶である。しかし、今回はそうではない。聞きたくて仕方がないが、しかし四十年前のものだぜ。なかなか安易に聞けるものではない。

 と思っているうちに、別ルートからメールが来て、同じデータをファイルから読めという。

 この夏は、大学、高校の古い、古すぎる友人や後輩たちからの強引な引き戻しがあったということだ。
 酒を飲もうという誘いは面白い。

 しかし四十年以上前の自分と対決せよとの後輩たちの働きかけは、親切というべきか、脅迫と受け取るべきか、よほどの勇気を奮わなくては聞けないなと感じている。
 聞いてみようかな

 40年ぶりの友人からの便りの話は明日にして・・・

 今夜は大学に勤めることになった顛末をお伝えしましょう。

 大学は名古屋経営短期大学という小さなところです。
 今年2014年の一月に三か月契約で採用され、四月には一年契約で採用中ということです。肩書きは特任教授。名刺には「教授」とあります。
 しかし今のところなにも教授してはいない毎日。授業はこの秋から始まります。
 週に三日の勤務という契約ですが、会議ありオープンキャンパスあり、学生集めの高校訪問や実習指導での幼稚園保育園訪問があり、自分の二つのゼミとゼミ外の学生との会話があって、週に四日か五日は出勤しています。
 でも、通勤費は月に12日。給与明細にはそうに打ち込まれています。

 ああ、そうですね。なぜこの短大に勤めるようになったのかということですね。その点が大いに誤解されているようです。
 通常の感覚の持ち主であれば、まず思い浮かぶのは「天下り」ということでしょう。
 残念ながらそうではありません。
 大学から教育委員会に推薦依頼があったのなら、自分とは別の人が指名されたに違いありません。

 大学は、小免課程の開設に必要な常勤教員について、地元の保育園の園長さんなどに人探しを指示したようです。それは想像するに「小学校教員養成課程を作るので、これからの教育の有り方を考えている未来志向の退職者を探せ!」ということだったのかな、これは私の想像です。
 実際には「タフな奴はいないのか?」とか「強引に交渉できる退職者はいないのか?」とか、「小免課程を作るために必要なたくさんの講師を集めることができる顔の広い退職者はいないか?」という相談があったようです。
 すると大学の系列の保育園の園長さんが、私を思い出してくださったのでしょう。一次の面談は保育園が舞台でした。
 そこでどんな会話があったのか、それはまたの機会に。

 ということで、奇人変人探しの網にかかった私。決して教育委員会の推薦とか割り当てとか、天下りではありません。
 は、最後に給料をお聞きですか。安いものですよ。校長時代の四分の三。これに年金をたして、マンションのローンを返しながら、妻と二人がぎりぎりの生活を送ってろいるというのが、教授の現状です

 アクセス記録を見ると月に250人から300人の人々がアクセスしていただいたということが分かります。

 たまたま訪問された方は「なんだこりゃ。沈黙のあかんブロか!」と追われたことでしょう。きっと二度とアクセスして下さらないでしょうね。
 中には何度もアクセスして下さった方があったことが分かります。
 ごめんなさい。
 本当にごめんなさい。
 訪問するたびに「なんだ、今日も書いていないじゃないか」と、まず失望があり、それが怒りに変わり、時間が経つと「こいつ、生きているのかしらん」という心配に変わった方もあった事でしょう。風の便りに「大学に勤め始めたらしい」と知った方は、「大学ならヒマだろう」とか「大学教授になってブログを止めて澄ましているのだろう」とか、果ては「鼻が高くなって、読者を馬鹿にするようになったに違いない」とお思いになった方もいらっしゃるかもしれません。

 馬鹿にはしていません。
 肩書きってのは相手がつけるモノであって、私の本質というか個性というか、要するに私が変わるわけではないのですから、私自身はずーっと相変わらずナマケモノ人生なのです。だから馬鹿にするとか澄ましているとかといったことはあり得ません。

 ただ、大学というところは入ってしまうと結構面白い所なのです。

 ということでいろいろと書いていくつもりですが、リクエストをお願いします。要するに挑戦です。
 一生懸命考えて、お答えしますよ

 前回の記事から9か月も経っているのに、コツコツとお読みいただいて誠に申し訳ありません。

 昨日奇しくも数人の人からこのブログの話題が出されました。

 「お忙しいようで、新しい記事がありませんね」
 これは仲良くして下さっているIT関係のベンチャーの職員さんの一言。

 「ブログを見つけて」
 これは40年ぶりに私を発見して下さった高校の後輩からの手紙。

 「書くつもりがあるの? ないの?」
 親しい友人は厳しいものです。

 「やっぱり書かないと、存在しないも同然ですよ」
 こういう友人も。

 ブログの事など何か月も話題になったことがないのに、2014年9月11日は特異日ですか。
 と書いて思い出す、あの日の衝撃。9.11です。
 それはまた書くこともありましょう。

 ところで先回の書き込みの直後の一月から、大学に勤めています。肩書きは特任教授。でも名刺には教授とあります。
 名古屋経営短期大学の教員の一人になっています。予想に反して結構忙しい毎日です。

 12月19日から復活します。
 猪瀬さんの辞任やら王将の社長の射殺事件やらがあって、けっこう騒がしい一日でありました。
 名古屋地方は比較的暖かい中に雨がポチポチと降るという一日でした。

 午前中に大学に行きましたが、特に誰と話すわけでもなく、お絵かきについての本を数ページ読んだにすぎません。それでも時間を過ごせるようになったのは、仙人に近づいた証拠なのでしょうか。

 宮城谷昌光さんの「草原の風」を読了。後漢の光武帝の話でした。ひっくりかえせばあの陰麗華の夫の立身出世物語ということができるでしょう。

 最近某短期大学に出入りしていますが、その大学に官庁から内諾のようなものがあったとのこと。それによって私は大学教員になりそうです。
 二度目の宮仕えということになるのでしょう。

 明日は大学に行って研究室(不思議なことに研究室だけはもらいました)から関係各位に新課程開設予定の一歩前進を連絡する予定です

 ある人が英語学習についてのごく個人的な思い出を語ってくれた。

 彼は中学一年生の春に転校した。要するに英語を学び始めてすぐの頃だ。
 前の学校ではブロック体で学習していたが、転入先では筆記体に力を入れていた。転入の初日にその筆記体の小テストがあり、不合格の生徒は床で練習をさせられた。当然のようにできなかった彼もそれに含められた。
 また疑問形の違いもあった。イギリス型だかアメリカ型だかは知らないが、Do you have a pen? と Have you a pen? という違いがあったのだ。教科書が違えば形も違ったようで、要するに彼は新しい学校の路線とは別路線を歩んでいたという訳だ。
 「いっそのこと間違いならよかったかも知れない」と彼は言う。「それなら生意気とはいわれなかったでしょう」

 「なんだお前、そんな英語を知ってるのか。それはここでは通用しない」と言われた。
 「字もきちんと書けない奴が、生意気な言い方をしやがって」という言葉が焼き付いている。
 それ以来、英語の教師は彼に対してなにかと不機嫌で不親切な対応しかしてくれなかったと記憶している。
 また英文を見るたびに「〜生意気な〜」という言葉の記憶が浮かび上がってきてしまうという。

 大人になって振り返ってみれば、たった一月半習っただけの英語なんて幅も深みもあろうはずがない。
 また、英式と米式の違いにベテランの教師が目くじらを立てるはずもなかろうとは思う。床で練習させたのも一日も早く習得させようとの気持ちだったかもしれない。
 そうは思うのだが、英語がどうしようもなく苦手なのだという。
 「高校三年生の時にですよ、英語の教師に呼び出されたのです」
 「ほかの教科の先生ならなんともないのに、英語はダメですね。呼び出されただけでビビっちゃうんですね」

 大学入試の模試の酷すぎる答案を指さしながら先生が「君はふざけているのか?」と聞いたそうだ。
 「答えはブロック体で書けばいい。どうしても筆記体が良ければ筆記体でもいいが、ごちゃ混ぜにするのはやめてもらえないか」さすがに高校の教師は丁寧な物言いである。しかし、
 「だがな、試験をおちょくるのは教官をおちょくるのと同じことだと受け止めても良いのだな」
 「??? おちょくるって、何のことですか???」
 「アクセントだ」
 「アクセントですか?」
 「そうだ、アクセントだ」
 「???」
 「はあ? じゃあ、わざとやっているのではなのか」教師がため息をつく。あり得ないことを発見したのだ。
 「何をですか?」
 「失礼なことを言うようだが君は基本の、キ、が分かっていないのか?」
 「???」
 「このアクセントについての答えはなんなのだ?結果が間違っているとしても、決して間違えてはいけない基本が分かっていないのではないか?」

 それは教師が指さした単語には答えのアクセント記号がつけてあった。
 「僕は、アクセント記号は母音の上につけるということを知らなかったのです」

 町興しで成功しているところは、特に奇抜ななにかをしているわけではない。
 地名町名地形に歴史、伝統、産業などすでにある特色を生かして知名度を上げることが味噌なんだ。目新しいものといえば、B級グルメに忘れてはいけないものがユルキャラ。

 愛知県の尾張旭には何があるかを見てみると、ラーメンロードがあるじゃないか。
 けちな地方の放送局がネタが切れると「ラーメンロード」や「紅茶タウン」をいやいや紹介しているが、街としてそれを積極的に売り出しているかといえばそんな気配は全くない。
 あるものを生かさないのは愚の骨頂。ラーメンロードを売り出そうじゃないか。
 味マップとかスタンプラリーなんてのはすぐにでも出来そう。車で店を回ってユーチューブに投稿も出来る。それが難しいなら、あの道に「ラーメンロード」などという旗だって立てればいい。

 他には日本一の紅茶の美味しい街という特徴がある。
 なに日本一かどうか分からないって? 「分からないから日本一を謳え」という意味が分からないかなあ。

 紅茶マップとラーメンロードをスタンプラリーにまとめ、地元の大学生などを媒介者とすれば、尾張旭は結構いけるぜ
 

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